- 読書メモ(029)
- 「苦しむ死者、うかばれない死者」の対処法
- 「憑依」概念を捉えることの難しさ
- 個人的興味深さ:★★★★☆
「供養と憑依の宗教学」という副題。2003年に角川選書より出されたものの増補版。本書では、無念を抱いて亡くなった「死者」を、生者がどう扱うかという方法論とその歴史(と変遷)を扱っている。精神史の一端が垣間見える。主に、日本の古代から中世からみていくので、とくに「仏教インパクト」によって、死者への対応がどう変わったのか(あるいは変わらなかったのか)が書かれていて、これから何か考えていく上でそれなりに指針になりそうな本。
中世までの仏教説話集から、浮かばれない死者への生者側の対応策を見ていくうえで、著者は、二つのシステムの「競合・併存のダイナミズム」をあぶりだしている。その二つとは、<祟り――祀り/穢れ――祓い>システムと、<供養/調伏>システムである。
前者は、死者との「個別取引」的対応を「一定の共同性・集団性」を基盤に考える。これは、怨みを抱いている(と表象される)死者の霊威をどう鎮めるのかに重点が置かれ、あくまでも主体性は「死者」側におかれる。
後者において書かれるのは、仏教の影響を受けて、その「普遍主義的な原理」を用いながら、怨む「死者」が「弱者」に転落して、こちらでは生者の方がその「死者」をどう「供養」するかに重点が置かれる。
もちろん、この両者は截然と分かれることなく、後世にまで「民衆感覚」を取り入れながら重なり合ってくる。とはいえ、中世以降になると、武士たちの精神安定のために「仏教式の功徳を必要とする弱者」としての死者(の怨念)になり、近世には、「祟り話の商品化」となり、近代以降になると、「顕彰」される「死者」へと変貌する。
こういった「死者供養」が、世界各地の「死者供養」的な習慣や祭儀などとどのような関係がありそうなのかが、「比較死者供養論」として書かれているが、これについては興味深いが今のところ保留。
一番の問題は、「憑依」という状態の定義しにくさだという。歴史上(文献上)様々な「神がかり」に類する体験談が「憑依」の文言に回収されてしまっている昨今であるとのこと。この「つく/つかれる」という現象は、身分の相違に関係なくいつの時代も同様のものは見られたようなので、深く考えるとおもしろそう。
ところで、「憑依」という現象は非常に深いものがありそう。一度それに準じる現象を目撃したが、そこにはまさに何かがありそうとしか言いようのないものがある。憑依されている本人の「変性意識」だけではすまされないものがあったように思える。そこにはたとえば口寄せのように、「死者」とのコンタクトを取りたいという切実な遺族などの想いがあるのだろう(イタコの需要が一番増えたのは第二次大戦中だという。それ以前がどうなのかはよく分からないが)。ここには、<祟り――祀り>システムが基底にある地域もあるよう。それにしても本書を読んでも「憑依」はよく分からない。以前、佐々木宏幹や小松和彦の本を読んでもよく分からなかったし。
まあ、これからも何か考えていく上で、手元においておこうという意味で、それなりに興味深かった。
(成城比丘太郎)