- 不潔と清潔とのたたかい
- とにかくお下劣ばんざい
- でも、文章(文体)は、まとも
- おススメ度:★★☆☆☆
【まえおき】
一か月に15冊くらいの本を読んでいる。図書館で借りてきて部分的に読む(見る)ものを含めると20冊を越えるかとは思う。これは世間の熱心な読書家(?)の平均と比べるとおそらく少ない方だと思う(たぶん)。近年はきっちり最後まで読み通す本も減ってきたなかで、小説は結末まで読むのだが(当たり前か)、それでもめんどくさくなって流し読みすることもある。本書も今までだとそうだった。怖い本を読むというこのブログを書いていなかったら流し読みしていただろう(そもそも読んでいなかったかもしれない)。それはなぜかというと、300ページ近くあるのに中身があまりないから。端的に言うとあまり面白くなかった。そのせいか、ワールドカップの試合観戦と同時並行で読んでいても何も問題なかった。
【あらすじ】
あらすじは簡単。とある警備会社に勤める土岐という男が主人公。彼が、会社の仕事として森志穂子という女性の行方を調査することになる。彼女の部屋に赴くと、そこはものすごいゴミ屋敷と化していた。一体彼女は部屋をこのような状態にしてどこへ消え去ったのか。森志穂子の行方を追ううちに、土岐は婚約者の春奈や友人たちとともに、世界がとんでもない変貌を遂げることに直面する。世界は徐々に汚穢に満ちてきたのだ。浄と不浄の神を奉じる人間同士の、世界の主導権をめぐる戦いが行われようとしていた。
【感想など】
こういうホラーを「ナスティ・ホラー」というらしい。「ナスティ」とは「英語で吐き気をもよおすほど汚らわしいとか、淫猥、悪趣味、お下劣なといった意味合いで」使われているらしい。俗語では、すげぇとかかっこいいという意味もあるらしい。そういうジャンルがホラーにあるのかどうか知らないし、あまり読んだことがないのでどの程度の人気があるのかも知らないが、本書に関してはそれほど汚らわしいともすげぇとも思わなかった。汚部屋の光景からはじまり、ある時はコンビニ前で女子高生が放屁をしたあと脱糞したり、ある時はネズミの串焼きを食べる人がいたり動物の死骸やゴキブリ入りの鍋が出てきたりする。とにかく町中をこれほどかと言うばかりにゴミや糞尿やありとあらゆる汚らしいものがはびこり、人間はドロドロになり穢れにとりこまれた者は絶頂に達したりするのだが、とくにお下劣だとも淫猥とも思わなかった。それはなぜかというと、おどろくほどに文章(文体)がまともだからだ。人間が引き裂かれ潰されたりするのに、それを描く文章がちょっと端正によっている。スティーヴン・キングほどの力量があればいいのだがそれもなさそう。こんなにまともな書き方でどうするのだろう。これなら大江健三郎の方がまだ気持ち悪くさせてくれる。私は今まで日本の小説を読んでいて吐きそうになったのは大江くらいだ(その時は体調が悪かったせいもあるが)。
本書の軸となるのは、浄と不浄との二元論的な世界観をもとにしたふたつの立場の相克である。いわば清潔さと不潔さのどちらがいいかという極端な争いである。こういった設定自体は面白いとは思う。中庸をもって任じる土岐の行く末や選択も興味深い。現代の衛生観念を浮き彫りにする神話劇のようなものとして読むとそれなりにおもしろいかもしれないが、しかしどことなく安っぽく感じてしまう。それはなぜなのかはとくに気にならない。怖くないからだ。ホラーレーベルでこれほどにも怖くないと感じたことはない。しかも気持ち悪くもない。これはこういったホラーにしては致命的だと思う。穢れに満ちた世界をきれいに整った文章で書きすぎている。私にとっては不気味なところも、何らかの情動をゆるがすような怖さは何もなかった。
基本的に、イマイチかなと思った本はブログで紹介しないのですが、この本はホラーということなので感想として書きました。あと、私の怖さへの感性が鈍ってきているという言い訳も書いておきます。
(成城比丘太郎)