- 読書メモ(043)
- 19世紀から20世紀までの欧米・ロシア文学から
- 幻想文学、ホラー、普通の文学までいろいろ
- おススメ度:★★★☆☆
【はじめに】
本書は、これを出版した大学出版会が、学生向けだけでなく、一般向けにも海外文学の面白さを知らせようと企画されたと思しき短編集。まるで「サクマ式ドロップス」のように、色々な味が楽しめる。今回は「欧米・ロシア編」ということで、これからアジアやアフリカのものも出版される予定があるようなので、一応楽しみ。
【収録作品】
・「緑の瞳」(グスタボ・アドルフォ・ベッケル)=野谷文昭・訳
・「一時間の出来事/ディジレの赤ちゃん」(ケイト・ショパン)=梅垣昌子・訳
・「ヴェラ」(オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン)=大岩昌子・訳
・「ニジニ・ノヴゴロドの丘」(ボリス・アンドレーヴィチ・ピリニャーク)=諫早勇一・訳
・「悪魔の眼鏡」(ウィリアム・ウィルキー・コリンズ)=甲斐清高・訳
・「秘密」(ライナー・マリア・リルケ)=白井史人・訳
・「星」(アルフォンス・ドーデ)=林良児・訳
・「赤い肌をした娘の理屈」(ポーリン・ジョンソン)=室淳子・訳
・「わたしは悪魔だ(抄訳)」(チェーザレ・ザヴァッティーニ)=石田聖子・訳
・「イルのヴィーナス」(プロスペル・メリメ)=伊藤達也・訳
・「ことの顛末」(ヘンリー・ジェイムズ)=ハンフリー恵子・訳
・「学生」(アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ)=亀山郁夫・訳
【簡単な感想】
「緑の瞳」のように幻想文学といえるものが結構多く訳出されている。「緑の瞳」は、泉の中に魔性のものを見た男の話だけども、そのどちらもがお互いを待ち受けていたように思える美しい一編。
「ヴェラ」は有名な作品だけれども、改めて読むと、喪った妻の存在を幻想としてつくりあげた伯爵のかなしい姿が少し胸を打つ。
ケイト・ショパンのふたつの作品は、ラストに急激なオチがついて、読んでいてハッとなる。素直な読み手ならそうなると思う。「ディジレの赤ちゃん」は人種問題がひとつの要素になったと思えるものだけども、同様に人種間の問題を扱ったポーリン・ジョンソンの「赤い肌をした娘の理屈」はそれより複雑で、北米先住民との混血女性と結婚した白人男性の、文化の違いや女性の矜持がかんじられて、興味深い恋愛ものになっている。まあ、人種問題は日本文学ではあまり主流ではないかもしれんけど、よく考えると、日本でも周縁化されたものはあるので、それなりにヒトゴトではないと思う。
恋愛というと、「ニジニ・ノヴゴロドの丘」は、ロシアの美しい風景と、近親相姦的な愛が語られて面白い。人生観と情景の取り合わせがよい。次の一節は心に残った。
「部屋の中には濃密な黄昏が立ち込め、窓の外は濃密な青さだったが、思いがけなく空に浮かんだ雲だけが、金色に輝いていた」(p83)
この「思いがけなく」というのが、それからの展開を予想しているようにも思えた。
ピリニャークの作品はある意味秘密に関することだけど、リルケの「秘密」では、ある老嬢ふたりの、それぞれの性質の違いを物語に入れこんだ、味わい深い作品になっている。
ホラーとして読めるものいくつかある。「悪魔の眼鏡」はどこかで読んだ記憶があるけど、話としては単純。他人の本心を見られる「眼鏡」を譲り受けた語り手が、自らの関わる女性たちの本心を覗きこんでアレコレする話。面白いのは、その眼鏡が変な形なので、女性たちになんやかんやとつっこみをいれられ、それに対して語り手が言い訳を考えだすところ。結末は、なんか爽やか。
完全なホラーといえるのは、「イルのヴィーナス」だろう。これまた読んだことある気がするが、普通に読むとオチは予想できる。ここで面白いのは、語り手がなぜか、アルフォンスに悪感情をおぼえていて、それが最後の悲劇?へと収束していくようなところか。
また、「ことの顚末」は、幽霊の目撃談が話の軸になるけれど、それはどちらかというとメインではないように思う。というか、これは一人の女性を軸にした一組の男女のふしぎな交感(交流)を描いたものなのだろう。そして、その軸になった女性の悪感情もひとつの要素か。
その他、「星」や「学生」なんかは、人生に対する何らかの肯定的な感情をすくいとったものか。
個人的にもっともひろいものだったのは、「わたしは悪魔(抄訳)」だろう。この著者は、イタリア映画の脚本家として有名のようで、ここには「わたしは悪魔」の全編から抄訳されたものがおさめられている。ここでは掌編が22編収められているけれど、そのなかには奇想あふれるものや人間観察をしたものや色んな視点からの寓話など、かなり映像的な作品群が多くて、それがよかった。
【まとめ】
はじめに書いたように、色んな味が楽しめる短編集。学生一般だけでなく中学生や高校生にも面白く読めると思う。幻想文学、ホラー、文学、詩のような一編などがある。総じて読みやすい訳文にもなっていると思う。
(成城比丘太郎)