- 読書メモ(039)
- 民俗学から歴史を捉えられるか
- 著者は柳田國男の弟子
- おススメ度:★★★☆☆
著者は柳田國男の謦咳に接した弟子でもある民俗学者。民俗学と歴史とをどうつないでいくかに、それなりの補助線を用意してくれるかもしれない本(ちょっと書かれた時期が古いが)。シャーマニズム(巫女)や「呪いの人形(くぎ人形)」についての考察は興味深かった。それと、民間における祖霊信仰や、祖先霊についての考え方、怨霊と御霊についてなども。それに沖縄方面の宗教的な習俗についても。あと、イザナギが向かった冥界とは、古代人にとって近しいものだった。これは、冥界とは垂直的世界ではなく、平行的世界であるということを示していると思われる。
日本人は無宗教だといわれたりするが、墓参りにおける祖先の弔いとか、神社などへの参拝とか、宗教的行為は色々おこなわれている。もちろん天皇陛下という存在への何らかの尊崇の念もまた同様かもしれない。しかし、祖先をどう祀るかという意味では、これから変わってくるかもしれない。それは形が変わるだけなのか、信念としては何も変わらないのか。先日とある番組で、ある歌い手さんが、「歌いながら、亡くなった作曲家の存在を感じていました」というようなことを歌唱後に語っていたけど、それもまた死者の霊に対するひとつの態度なのだろう。それは誰にでも受け入れることのできる信憑だろう。また、非業の死を遂げた人(若くして死んだとか)という意味の「異常死者」への何らかの弔い方における想いはこれからも変わらないだろうか。
あと、著者は基本的に折口信夫の学問的方法の非科学性(?)には批判的だけど、それでもそこにはある一定程度の見るべきものはあると書いている。まあ何事も全否定するだけではいかんなぁと思った次第。
(成城比丘太郎)