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★★★★☆

新装版 蚤と爆弾 (吉村昭/文春文庫)

投稿日:2019年7月22日 更新日:

  • いわゆる731部隊の細菌兵器についての「小説」
  • 真にDemoniacな内容
  • 終始冷静な視点・単純なヒューマニズムを描かない
  • おススメ度:★★★★☆

読書中、なぜか頭の中にDemonという単語が浮かんでいた。もちろん、悪魔という意味だが、それを想像させられるのは、この本のテーマ関東軍防疫給水部本部(いわゆる731部隊)ではなく、登場する全ての人物・国・出来事といっていい。

読書後、この本の資料となったであろう実存の関東軍防疫給水部本部について、少し調べてみたが、虚々実々が入り混じり、私には正確に判断し兼ねるので、人体実験が真実であったかどうかは論じない。本書もそれは承知していて、実在の隊長・石井四郎をモデルに、曾根二郎という名前に変え「小説」として構成している。当初ノンフィクションとして話題になった「悪魔の飽食」とはそこで一線を画すると思っている。つまり、細菌兵器をモチーフにしてはいるが、政治的な意図がテーマではないのだ。

ちなみに、本書の紹介には、

満州、ハルピン南方のその秘密の建物の内部では、おびただしい鼠や蚤が飼育され、ペスト菌やチフス菌、コレラ菌といった強烈な伝染病の細菌が培養されていた。俘虜を使い、人体実験もなされた大戦末期―関東軍による細菌兵器開発の陰に匿された戦慄すべき事実と、その開発者の人間像を描く異色長篇小説

と、小説であることが明記されている。

実際に読んで頂ければ、きわめて明瞭なのだが、この本にはまともな人間・国は登場しない。本書で人体実験に供されるのは、敵国の諜報部員である。その点で、既に絶対的な善悪の問題ではなく、正義が置かれる力点の問題になっている。確かに前半の人体実験の描写は、簡潔でありながら、吐き気を催すような陰惨なものだ。淡々と列挙される実験は正に狂気を感じる。私も、てっきりこの人体実験の描写が本体であると思っていた。しかし、実際のストーリーは、ここから終戦に至るまでの流れがテンポよく描かれる。

本書に登場する細菌兵器はもちろん、唯一アメリカ本土に被害を与えた風船爆弾、B29の爆撃、原爆を投下したエノラゲイ、中立条約を破棄して進行してくるソ連軍など、さながら百鬼夜行の様相を呈する。無差別殺人を行う国が既に無差別殺人を行っているという事実。731部隊の真偽を別にしても、原爆投下や空襲、ソ連の日ソ中立条約の期限破棄などは事実だ。もちろん、日本兵もアメリカ人を始めを多数殺傷した。暴行・略奪は国を問わず、行われていたのは間違いないだろう。著者が言いたいのは「誰が悪だったか」という単純なことではなく、「人間」をただ、こういう形で切り取って見たかったのだろうと思う。

主人公である曾根二郎は、実に魅力的な人間として描かれる。次々と画期的なアイデアを出して新兵器を生み出す様子はいっそ痛快でもある。この部分だけなら、プロジェクト云々と言ってもいいような感じがする。しかも、彼は3000人の捕虜を人体実験によって殺したことになっているが、戦後はアメリカ軍に保護され、微塵も後悔などしていない。むしろ、貴重な人体実験の経験を生かしたいと、純粋に願っている。彼は、アメリカ軍に友人を介して出頭を問われ、こう語る。

「私は、なにも悪いことをしたのではない。私は、軍人であると同時に医学者だ。医学にたずさわる者が最も遺憾に思うのは、医学研究の実験に犬や鼠や兎などの動物しか使えぬことだ。実験動物で得たデータが、人間にもあてはまるかといえば、そんなことは決してない。(中略)私は、一個の人間を実験に使用することによって、無数の人間の生命をすくうデータを得ようとしてその通りになった。つまり一殺他生というやつだ」

そう、原爆投下も一殺他生、ソ連軍の侵攻も一殺他生、ナチスドイツも一殺他生、戦争は全て一殺他生に違いない。その事実を噛みしめると、本書の描きたかった「何か」がゆっくりと頭の中を侵食してくる。

以前にも書いたが、私は思う。人間も生物である以上、生存することが根本目的だ。その方法として、人間は脳を発達させ、他の動物を圧倒した。その戦略の中には、頭脳を使った多様性、どんな環境や敵にも対応できる膨大なバリエーションを生み出すことが、組み込まれている。人間の世の中が天才ばかりにならないのは、つまりその為であり、一見、無為な人間も生存というシステムに組み込まれた絶対必要な「可能性」だ。さらに「競争」という原理を用いて、切磋琢磨し進化する。これが戦争の原因にもなるが、システム上、危険な暴走を孕んでいてもこれを切り捨てることはデメリットの方が多い。だから、誰もが頭では分かっていても「平和な世の中」はやってこない。敵がいなければ、自分と戦う者まで現れる。まったくもって、巧妙な仕組みだ。そのおかげで人類は80億人に迫り、この先も増え続ける見通しだ。

そう、結果から見れば何も悪くない。むしろ「増えた」のである。ただ、増えたというなら地球上に一説に100京匹いる昆虫、その他、植物・「細菌」などを加えれば、僅か0.01%しか占めていないという統計もある。無意味だ。

本を閉じれば、現実の世界が帰ってくる。まあ、昨日とだいたい変わらない。何かを良くしたいとは思うが、その方法が今のやり方であっているかどうかの確証は全くない。そして、今日も人間の愚行を前にして、やはり人間はDemonであると思う。だから、敵対者を悪魔と呼ぶのは間違っている。Demonでいいじゃないか。でも、同じ悪魔同士なんだから、もうちょっと上手くやろうじゃないか……そうすれば、もっと「増える」よ、俺たちはさ……。

(きうら)


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