- 灰谷健次郎っぽい児童文学と思わせて……
- とんでもないオチを仕込んでいる食わせ物
- 基本的には美しい人間賛歌、基本的には。
- おススメ度:★★★☆☆
最初に書いておきたいが、この本の真の読書体験をされたい方は、この後の紹介や本の帯など一切の予備知識なしで読んで頂きたい。なので、ちょっと改行を入れます。
普段は、何らかの形で人が死ぬようなひどい本ばかり紹介している私だが、何となく手に取ったのが本書「朝の少女」である。訳者があの灰谷健次郎なので、だいたい、中身は予想はついたのだが、人間のこころとは不思議なもので、つい読んでみようと思ったのだった。
灰谷健次郎は小学生の時に読んだ、兎の眼 (角川文庫/Ama)が実に強烈なに印象に残っており、今でもそのイメージが強い。内容的には、新任教師が問題のある児童たちと真摯に向き合う内容だったが、蠅を偏愛する少年など、なかなか腰の据わった設定で、真正面から教育について切り込んでいく内容だったと思う。
その予備知識が有ったので、訳者を見て、読むことにしてみた。まあ、最初は予想通りだった。
(あらすじ)どことも知れないが、恐らく南国で自然豊かな島に暮らす人々。主人公は夢想家で早起きで元気のいい「朝の少女」とその弟で、眠ることのない多少屈折したところのある「星の子」の二人。この二人が、少年期の不安と安らぎを感じつつ、自然や周囲の大人たちとの関わりから学び、成長していく過程が描かれる。南国の楽園の、絵にかいたような美しいお話である。「基本的には」!
あらすじにあるように、朝の少女と星の子の姉妹は、それぞれのアイデンティティに目覚め、それと対峙する世界の不思議について、周りの大人から学び取る。その過程はいかにも楽園ぽい描写で、素直な児童文学として読めるだろう。文章も平易で読みやすい。
例えば、朝の少女が父親に自分の姿が見えないので(鏡などがない)どうしたらいいか問うシーンがある。父親は「わたしの目の中をのぞいてごらん。何が見える?」と、答える。普段、血しぶき舞う小説を渉猟している私からは目から鱗が落ちる様な素晴らしい発想と表現だと思う。父親は続ける。「これが、おまえが知りたがっていたことの答なんだ。この子たちはいつも、いつもここにいるよ。おまえが会いたくなったら、いつでも会いにきたらいい」何という完璧な家族愛の描写だろうか? 私は皮肉抜きで感動的なシーンだと感じた。
このように全編イノセントで穏やかな世界の中、二人の姉妹は少しずつ人生に大切なことを学んでいく。優しい両親に素朴な大人たち、きっとこの南国では、私たちの現代日本のようなギスギスした人間関係は構築されていないのだろう。これが本来のあるべき姿だ、と思った。
正確には思っていた。
この小説、実は最後の最後に大変大きな爆弾を仕込んでいる。それがホラーではないこの本をこのサイトで紹介しようと思った動機だ。訳者の灰谷健次郎もあとがきでその衝撃について触れている。たった2ページだが、それはもう酷い内容だ。原作者の意図は分かるが「あんまりじゃないか」という感想しかない。ここは十分に怖い。長い長い前置きのある超変化球小説だと思ってもらってもいい。
まったく、油断していた……まあ、それだから読書は面白いと言えるのだが、全部読むと全ての意味合いが違って見えてくるだろう。どんでん返しのある児童書文学というのも珍しいので、一読の価値はあるかも知れない。そうそう、途中の挿画が実に素晴らしい事は書き添えておく。この絵だけでも十分に魅力的だ。
(きうら)