- ドストエフスキーの体験を基にした記録的小説。
- ロシアにおけるシベリア流刑(囚)の様子。
- エピソードを連続的に描いていくので読みやすい。
- おススメ度:★★★★☆
タイトルにある「死の家」とは、監獄のことです。「ドストエフスキーが一八五〇年一月から五四年一月までの四年間を過ごした、西南シベリアのオムスク要塞監獄での体験」が基になっているようです。私小説的なものとして鑑賞してもいいですが、ノンフィクション系記録小説のようなものとして楽しめる作品だと思います。私は、ドストエフスキー作品の中で二回以上読んだ長編は、これと『白痴』だけです(本作は純粋に面白い)。本作品を読むにあたって、おそらく一番よいところは、ロシア文学でよくある「登場人物の名前が長くて、愛称も色々あって、誰が誰だか分らない」というところがあまりない、ということだと思います(極論としては、全く覚えなくてもいいかもしれない)。もちろん何人かの覚えておいた方がよい人物名もありますが、それらは簡単なもので、しかも必要最低限の人物名だけでいいので、非常にストレスなく読みすすめられます。まあ、700ページ近くある分量はご愛嬌ですが。
内容的にも読みやすいといっていいかと思います。ゴリャンチコフという貴族がある罪を犯し、監獄に送られてきてからの体験や生活などが順に綴られていくので、それらエピソードを追っていくだけでいいのです。それだけで当時のロシアの〔監獄を主とした〕状況を「追体験」できます。シベリアといっても気候的には良いところです。そこにある監獄は「生きながらに死んだ者たちの住処」とありますが、それほどおそろしい場所ではないのかなというのが読んだ印象です(おそろしいこともありますが)。そこに住まうのは、様々な民族の者たちや、いろんな身分の者たちです。彼らはいろんな罪により監獄に送られてきていて、そこは多様性のある場所になっています。その中で、貴族身分の者は、他の庶民からは決して仲間と認められないということのようです(ある種の尊敬は得られますが)。
監獄に住むということは、彼らにとって仮住まいという意識を伴いつつ、何事にも無頓着になるというのです。例えば、食事の「汁(シチー)」にチャバネゴキブリが大量に混ざっていても何も気にしなくなるというように。ここでも娑婆と同じように金銭が通用していて、なんでも売り買いされています。酒はもちろんのこと、風呂場の場所取りに関しても(入浴時の服の脱ぎ方や、風呂内の光景はすごい)。
本作で一番おそろしいのは、体刑として行われる笞打ち(むちうち)の様子と、受刑者の背中に傷を負った光景でしょう。棒や枝でできたムチで背中を殴打されるのです(枝のムチの方が傷が深くなり、えげつないようです)。それも五百回から千回、さらには二千回にも及んでです。私だったら、おそらく百回打たれるまえに失神してしまうでしょうね。とくにムチ打ちでひどいのは、笞を持って並んだ人の列の間を駆け抜けてムチ打たれるという列間笞刑でしょう。背中にひどい傷を負った受刑者は病院に運ばれるのですが、その病院でゴリャンチコフが聞いた、様々な人々のエピソードはこの作品で一番面白いです。
本作は、獄内の人々の様子や出来事などを含む、主人公と他の囚人の交流を、順を追って読んでいくとおもしろいです。そうしてラストが近付くにつれ、もう読み終わるのかという感慨とともに、ラストのゴリャンチコフの出獄時にはジーンとくるものがあります。だいたいにおいて、本作には塀の中のおそろしい話というより、多様な囚人たちが次々と現れては織りなす、おもしろエピソードのごった煮といったかんじ、というように読むと楽しめます。
それと、私の印象としては、訳者の望月氏の訳文が読みやすいのもお薦めどころです。この望月氏は数いるロシア文学専攻の学者の中で、一番翻訳が読みやすいと思います。
(成城比丘太郎)