- 読書メモ(11)
- ドキュメンタリータッチですすむホラー
- 現代史の見取り図に沿って語られる
- おススメ度:★★★☆☆
あちこちのホラーサイトで「怖い」と紹介されていて(確か)、当ブログでもきうら氏が「久々にヤバい系の怖い本」で、「直球で怖い」と書いていて、いつか読もうと思っていました(きうらの記事)。「巷間の怖い」という評判を真に受けて(?)、「どんだけ怖いんやろう(ワクワク)」と、ちょっと自分の中でハードルを上げていたせいか、残念ながら、読んでいる間総毛立つような恐怖は感じられませんでした。しかし、それは、私が本書に書かれているような異変に関して無頓着だからでしょう。幼い頃お化け屋敷などに入ると、ずっと目を瞑っていたというような怖がりの私ですから、作中人物のように、「なにかおかしいな、厭だな」、と思われるようなことが起こっても、基本無視することにしている性質が身についているからです。逆に言うと、現在自身の周辺に何か変事が起こっているのではないか、それには何か因縁があるのではないか、といったような連想がはたらく人向けには怖いかもしれません。ちなみに、私はインターネットを始めた当初、オカルトサイトをよく見ていて、ある日急にパソコンがフリーズしてクラッシュしてしまうことがありました。しかもその後私は体調の悪化にも見舞われました。その一連の出来事に関して、私は何らかの「呪い」とかだとは全く思いませんでした(なんせ、テレビの星占いが目に入っても、5秒後にはその結果を忘れるくらいですから)。そういう人にはおそらく何も怖くないでしょう。逆に言うと、少しでも気にする人には怖い本になるのでしょう。そういう人が、読んだことを後悔するほどのものかどうかはわかりませんが。
本書の怖さは何でしょうか。「解説」で、とある評者が「手元に置きたくない本」という表現で本書を特徴づけています。おそらくその怖さとは、内容にある通り、「感染」に関することだと思われます。本書では、登場人物たちが、とある異変の調査を通して過去の出来事へと遡っていきます。そこで探り当てたのが人を死に追いやっているかもしれない「穢れ」です。その「穢れ」という観念が内在的なものを貫いて外へと溢れだし、連鎖的に恐怖を伴った変事を引き起こすと、登場人物たちに表象されるのです。ここにひとまずの怖さがあるようです。作中人物の裡にあった「穢れ」が外へと感染し、さらに「虚構/(読み手側の)現実」の枠を取り払って、それが読者側にも染み出してくるような感覚をもたらす効果が、本書にはあるのでしょうか。
その効果を助長するために(?)用いられているのが、「(実録的な)怪談」というフォームでしょう。これについては詳しくないのであまり書けません。ひとまず言えるのは、怪談というものが人間の生活(史)に密着しているということでしょう。私も怪談は好きですし。
しかし、肝心の「穢れ」についての解説がたった数ページのためか、「穢れ」についてあまり怖いという感情が持てないのです。1章くらい使って「穢れ」のことを詳述していればと思うのですが。そして、実在の人物を登場させて、その人にわざわざ「ヤバイ」と言わせていることにも、あまり本書に怖さを感じなかった所以。その他にも怖さを殺ぐような仕掛けばかりだと私には思われます(あくまで私の印象)。
本作の読みどころは、怪談ではなく、むしろ異変の原点を追ううちにあらわれてくる日本の戦前・戦後史の一端でしょう。戦前から戦後、そして高度成長期からバブル期へと、土地の履歴や、社会変遷の定型的な描写を軸にした日本の歴史が見えてくるのです。そこがおもしろいところ。
怖いか怖くないか、といわれるとそこそこ怖かった作品でした。
(成城比丘太郎)