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2010年代アニメまとめ(5)

投稿日:2019年11月1日 更新日:

  • 「2013年アニメ」について
  • ラブコメアニメについて
  • 神知ると冴えカノ
  • おススメ度:特になし

【2013年のヒットアニメについて】

2013年は前年からのテレビ放送本数増加の傾向を受けて、かなりの本数が放送されていました。現在の粗製濫造につながるその先鞭がつけられた年にあたるような感があります。とはいえ、まだそれほど質的に悪かったわけではありません。急激に制作の体制がきつくなって来るのは、この年より後のことだと思います。

2013年は、2012年の『ガルパン』につづき、画期となった新たな(アニメ)コンテンツが生まれました。そのひとつが『ラブライブ!』です。『ラブライブ』と同年放送開始された『進撃の巨人』は、両者とも「紅白歌合戦」に登場しました(ラブライブは2015年)。声優の水樹奈々は数年前から紅白に出演してましたが、この年にはTMRと一緒に『ヴァルヴレイヴ』の歌で出演していました(確か)。『進撃』は今ではもう、当時の爆発的な勢いのある人気は薄れてしまいましたが、『ラブライブ』に関しては、メンバーを入れ替えつつ今でもその勢いは保っていると思われます。

『進撃の巨人』に関して個人的に関心が薄れたのは、エレンが巨人になってからです。このことによって、巨人に抱いていた不気味なものという印象がなくなったからです。巨人の本性が人間であることは予想がつきましたが、実際にエレンゲリオンに変身したのを見た時には、ちょっとがっかりしたものです。たとえばゾンビは、人間の変態形であるとともにその存在の位相としては不可逆的なものすなわち人間には戻り得ないことが恐怖感情の源になっていると思うのですが、『進撃』はそうではなく、一部巨人と(一部の)人間との存在が置換可能であるようなのです。そのことにがっかりしたものです。

【また違うベクトルのヒットアニメ】

この年には、世間一般では全く話題にならなかったものの、オタク界隈では大ヒットした『のんのんびより』がありました。『のんのん』は田舎での子供たち(小学生から高校生まで)の何てことない生活を綴ったものです。季節は夏であることが多いのですが、その時の夏山などの自然描写はそれなりの田舎暮らしの経験がある者にとってはわりかしリアルです。
このアニメに関しては、舞台設定が岡山県北部ではないかとの情報が放送当時一部にあり、それは後に否定されたのかもしれませんが、あながち間違いではないように思える。「ひか姉」が東京から帰郷するときには新幹線などを使って6時間くらいかかると言っていたのですが、岡山県北部(津山とか新見あたりより北部)なら、乗り換え時間を合わせるとそのくらいの時間はかかる。それに、冬になると大山周辺の蒜山高原辺りは大雪が降ることが多いので、劇中の大雪との整合性はとれる。「ほたるん」は飛行機で来たといっていたのですが、岡山には飛行場はある。問題は、劇中でどこの海岸に行ったかですが、伯備線で日本海にいった方が近いのなら、かなり鳥取よりの岡山でしょう(ということはあの田舎は、伯備線沿いか、姫新線沿いか)。まあでも、日本の地方に行くと、あんな田舎の光景はどこにでもあるんですが(北海道や沖縄は除く)。
第一話のバス停留所の時刻表をみる限りでは、結構本数があるようなので(1~2時間に1本くらい)、田舎にしてはまだましな方だと思える。本当の田舎なら、朝昼晩に1本ずつしかないからなぁ。第1話で、入学式からかなり経って桜が満開になっていたということは、けっこうな山深いところか、それとも東北の方か。でもよく観たら、しだれ桜にも見えるので、そこまで北方ではないか。山陰の田舎でも10月から5月くらいまでコタツを出してるくらい寒い日があるし。
どーでもいいけど、EDで、「ハクビシン、アライグマ」が出てくるのですが、農家的にはあまりいい印象を持てない動物なので(とくにアライグマ)、なぜノンキに「アライグマでしょ」と、「れんちょん」たちは歌っているのだろうか。さらにツッコミをいれると、無人販売所なんてのは、多くの田舎住まいの人はあまり利用しないんじゃないかと思うんですが。あれくらいの野菜なら作れるし、近所の人にいやというほど貰える。というか、私が今まで全国各地で利用したことのある田舎の販売所はすべて、近所の農家の人が生産物を持ち寄ってきているという、そういう店舗なんですが。ああいう無人販売所は、都会から来た観光客向けのものが多いだろうと思う。まあ、こういうツッコミは無粋だとは分かっているのですが、それでもせずにはおれない性分なもんで。

余談。『のんのん』では、大型ショッピングセンターまで「直進40km」という看板が出てくるのですが、そんな所は中国地方にはないと思う。

【ラブコメアニメ】

さて、10年代にもラブコメアニメは多いのですが、その中でいうと、ラノベ原作にありがちなのが「残念・不器用・メンヘラ気味・コミュ障・ポンコツ」といったヒロイン像でしょう。そのとっかかりが、『僕は友達が少ない(はがない)』(2011、2013)でしょう。美人なのに友達が少ないヒロインに、スタイルはいいのになぜか友達の作れないサブヒロインなどといった具合で、そのありさまは「残念」と呼ばれ、「残念系ラブコメ」とも名付けられました。『はがない』は主人公も残念だといわれる境遇にいます(見た目は怖そうなのだが、実はいい奴)。

まあこういったラブコメに登場するのは主に、学生生活をうまく送れない不器用なタイプや、美人またはかわいいのになぜかもてないヒロインとか、(男女の)主人公に不必要に執着するメンヘラさんや、頭がよさそうなのに実際は勉強も運動もイマイチなポンコツヒロインなどがいます。また、男性登場人物の方は怖そうな外見でも実はまじめだとか、かっこいい外見なのに変な性癖を持っているとか、どこかに欠点をもっていることが多い。こうしたキャラ造形は昔のラブコメにもありましたが、このような類型化した人物を多く登場させることで、様々なシチュエーションを楽しませる作品が増えた、というかそういった(残念なキャラによる残念な関係性といった)側面を前面に出した作品が増えたようです。

こういった関係性を楽しむのはもちろんラブコメものに限らないと思います。ラブコメでこういった手法がよくとられるのは、「あんなしっかりした人が、あんな意外な面を見せるなんて」とか「不用意に見せるテレやデレの表情」といったような、いわゆる「ギャップ萌え」にもつながるような気もする。この「ギャップ萌え」というのは個人的にはかなり強力な「萌え」の表現方法だと思えます。

【2013年の主なラブコメ】

2013年だけでも色々とラブコメ要素のある作品がありました。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(俺ガイル)』とか、『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる(俺修羅)』とか、『俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している(脳コメ)』とか、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(ワタモテ)』とか、『悪の華』とか、『恋愛ラボ』とか、けっこうヴァラエティに富んでいたと思います。『悪の華』はその表現方法で話題?になりましたけども、内容としては屈折した感じがよかったように思う。これらには厳密に言うとラブコメではないかもしれないものもあるかもしれませんが、この年以降のラブコメものの雛型になったような気がしないでもない。翌年の『月刊少女野崎くん』(2014)になると、ラブコメものをメタレベルで捉えたというか、そのパロディ化をおし進めたもののように思えます。しかし、『ニセコイ』や『ぼくたちは勉強ができない』(2019)のように先祖返りしたようなものもありました。

『俺ガイル』では、ちょっとしたポンコツ要素は「川崎さん」と「ガハマさん」くらいで、その他の作品では『俺修羅』の「あいちゃん」がちょっとテンパリまくるキャラで、『脳コメ』の先生は体型的にコンプレックスをかかえており、『ワタモテ』の主人公なんかは何かしらの性格的な欠点が面白おかしく描かれています。だいたいの作品においては、人物の性格や体型などを揶揄的に描いていて、それを主に男性主人公が助けたりお世話をしたりするような内容が多い。もちろん女性の主人公が、いろんな性格を持った男性キャラたちをうまくまとめたり、そいつらにからかわれたりしているものが多い印象。このように10年代アニメでは、残念な性格の持ち主や、残念ではないけどそういった形式で描かれる言動をオーバーに描いたキャラクター像が目立つようになった。詳しくは書きませんが、こういった関係性は主に男女間でのラブコメに多いような気がする。

【メタレベルで捉えたラブコメ】

さてこの年は、『神のみぞ知るセカイ女神篇』が放送され、『神知る』のアニメはひとまず終了しました。『女神篇』の特徴は色々ありますが、ラブコメという観点でいうと、これは主人公の「桂馬」とメインヒロインになる「ちひろ」の恋愛物語(の途次にあたるもの)ということができます。『女神篇』において、それまでに様々なルートを通ってきた桂馬が、ちひろひとりに絞ったといえるでしょう(逆に言うと、ちひろが桂馬を攻略した)。この観点からいうと、『神知る』は、ギャルゲー(恋愛シュミレーションゲーム)を得意とする桂馬が、自らその攻略主体となったかのように次々とヒロインを攻略し、最終的にはひとりのヒロインに告白するところへ終着する作品といえるでしょう。まさに王道のギャルゲーのように、たったひとりのエンドに向けての、様々な恋愛SLG要素が詰め込まれたものという意味でいうと、『神知る』はメタレベルでラブコメ(ギャルゲー)を踏まえた作品です。さらにいうと、『女神篇』で特徴的なのはジェンダーの要素を逆転させた内容がありました。これなんかは、桂馬が攻略対象として見られるというもので、ギャルゲー自体を相対化しているようにも見えます。

『神知る』と同じように、恋愛SLGのフォーマットを用いつつ、その攻略過程を表に出さないままラブコメを装っているのが、『冴えない彼女の育てかた(冴えカノ)』(2015~)でしょう。この『冴えカノ』の登場人物には、恋愛ゲームを愛する主人公がいたり、高校生でありながら商業ラノベ作家がいたり、人気同人作家の高校生がいたりするというものです。主人公が何人かのヒロイン(と同い歳の男子)と同人ゲームを作るという内容なんですが、ここでは『神知る』と違い、登場人物間での恋愛には(一応)決着をつけないという態を装っています。最後には誰かを選ぶとは思いますが。

ところで、『神知る』では、各ヒロイン攻略の決定打としてキスするのですが、そこにはその行為以上のものがない(と桂馬は思っている)。ところが『冴えカノ』ではキスはおろかこれといった接触もないものの、どう見てもキス以上のことを一部ヒロインとしているように見えるのです。とくに「加藤恵」との関係は夫婦にしか見えなくなってくる。というか、『冴えカノ』において主人公と誰かがキスすることは、登場人物間の関係性を壊しかねない。言い換えれば、それだけあやうい関係性を描きだしていて、そこにはかなりの緊張感を醸し出している。『冴えカノ』では(視聴者に対して)思わせぶりな表現がたくさんあって、それらはアニメの視聴者の想像力をかきたてる関係性を(妄想として)構築するのに役立っているように思えます。

『神知る』の「ちひろ」は、原作ではモブ以下の造形で、当初はとてもメインヒロインには見えない。アニメ2期ではそれなりにかわいくなっていて、『女神篇』を観た段階で、「ああこれはメインヒロインだな」と思えてくる。どういうことかというと、『女神篇』そのものが「ちひろ」と桂馬の恋愛ストーリーにしか見えない内容ということ。『神知る』と同様に、『冴えカノ』のメインヒロインである「加藤恵」は、一応設定上は地味な存在となっている。しかし、声がメインヒロイン仕様なので、どう考えても勝利するのは恵だろとしか思えない。恵の見た目はまさにモブのかわいさで、実際に作中でモブキャラたちに囲まれると、見分けがつかないと思う。こういったキャラをメインヒロインに据えるのは、個人的には使い古されたギリギリな手法だと思うし、アニメでは禁じ手に近いものだとも思う。なぜなら、モブのかわいいキャラを見つけ出して、その子を愛でるという個人的な楽しみが減ってしまうから。

さて、『神知る』では、ギャルゲーを制作している業界のことが出てくるが、だいたいにおいて、その制作過程における負の側面が描かれている。それはたとえば、バグだらけのゲームや、発売日が延期されまくったゲームのことや、修正版がだされまくったゲームなどのこと。いわば、ダメなゲーム会社のことが時に出てくる。ところが、『冴えカノ』では、一度もゲームを作ったことのない高校生たちが、作るのが難しいと思われる恋愛ゲームを納期内になんとか仕上げている。『神知る』ではゲーム制作の厳しさというリアルな部分が出ていたけども、『冴えカノ』ではクリエイターたちの調整という意味での難しさは出ているものの、『神知る』のような本当の厳しさは全く描かれていない。同じく高校生たちがゲーム制作に携わる『ステラのまほう』(2016)を観る限りでは、高校生だけで同人ゲームを制作するのが非常に難しいということが分かる。それを考えると、『冴えカノ』のクリエイター人はとてつもなく有能だとしかいいようがない。まあ、あまり突っ込んで観るものでもないけど。

『神知る』では恋愛ゲームをモチーフに、主人公が理想を追うというゲーム的な展開で話は進むけど、ゲームそのもの(の描写)に関してはリアルさを見失わない。一方で、『冴えカノ』では理想のゲームを作りだそうとするが、ゲーム制作では一部リアルさを排除してしまっているので、ゲーム制作過程そのものが理想的になってしまっている。そのせいで、『冴えカノ』の1期ではあまり目立たなかった粗が、2期になってからの(実際の)ゲーム制作において目立ってきてしまっている。

【まとめ】

2012年から2013年にかけて制作本数も増えてきました。ゼロ年代の本数を越えてくる、その契機になった作品がいくつか出てきました。『ラブライブ!』なんかはそうでしょう。後の『バンドリ』みたいなコンテンツは、『ラブライブ』と『けいおん』をうまく合わせて、新たなファンを増やしています。『ガルパン』と『ラブライブ』は廃校の危機という設定を生みだしました。ラブコメでいうと、色んな関係性や状況の面白さや、キャラ属性の掛け合わせを楽しむものが、この2013年からさらに増えてきたように思います。10年代のアニメが(良くも悪くも)本格的に始まったのは、この年だと思います。

(成城比丘太郎)


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