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★★★★☆

吉野大夫『後藤明生コレクション・3』(後藤明生/国書刊行会)

投稿日:2019年5月15日 更新日:

  • 「吉野大夫」という人物をめぐるお話
  • ノンフィクションの体をとった小説
  • 「吉野大夫」を探るうちに、わけいる謎
  • 個人的オモシロ度:★★★★☆

【1】

今年は後藤明生の没後20年である。去年このブログにも書いたけど、今年は私が後藤明生を読みはじめてから、20年の節目でもある。と、ここで、すこし反省してみると、私が後藤明生を、熱心とは言えないけどもそれなりに集中して読んでいたのは、実はその20年のうちの、前半の10年でしかない事に今更ながら気づいた。つまり、1999年から2009年くらいまでの間である。後半の10年でいうと、去年読んだ『メメント・モリ』に、今年読んだ『笑いの方法』と、今読もうとしている『吉野大夫』に、いつ読んだか忘れたが(読書日誌を見たら分かるけど)、『この人を見よ』くらいかもしれない。

【2】

私は、前項で「今読もうとしている『吉野大夫』」と書いた。書いたのだが、もうお察しのように、もうすでに読み終わっているのである。ではどうして、こんなアホなことをわざわざ書いたのかというと、もう読んでいるはずの本を、これから読みながら記事を書いていくという、ライヴ感覚・実況感覚で、それを伝えようとするからである。どういうことかというと、後藤明生自身が本書を書くにあたって、この執筆態度をとっているように思えるからで、それにあやかろうというわけなのである。

【3】

後藤明生は本書の冒頭を次のように書き出している。

「『吉野大夫』という題で小説を書いてみようと思う。」(p5)

今から『吉野大夫』という題の小説を書くという決意、というか宣言というかお知らせである。今から読者のあなたが読むはずの『吉野大夫』という本を、これから書いていきますよ、というお知らせなのである。しかし、小説を書いたことのある人なら分かるけど、こう書いている時点で、作者自身はもうすでに『吉野大夫』という小説の、ある程度の見取り図はついているはずであるし、すでにしてこの小説で主題的に取り上げられるはずの「吉野大夫」についても、それなりの調べはついているはずなのである。

【4】

作者は「書いてみようと思う」と書いてあるが、ここを読むことによって読者は、あたかも今から読む小説が、作者もどういった到達点に辿り着くかもわからないという曖昧さを抱いているかもしれないという、いわば作者自身のおぼえている宙吊り状態をともに楽しむことができるという、そんな同伴的感覚を抱けるかもしれないのである。つまり、書くことと、書かれているものを探る時のその状況・状態・関係と、読者がそれを読むこととが、時間的に同期しているという、そういう感覚を味わえるのである。これが後藤明生を読む時のひとつの楽しみでもある。

【5】

あー、さて、その前に書いておきたいことがあります。まず、私の前には、みっつの『吉野大夫』がある。これは三冊の同じ本があるというわけではない。平凡社から1981年に出版された単行本の『吉野大夫』と、小学館の『昭和文学全集30』に収められたものと、そしてアマゾンにリンクをはった国書刊行会のものがあるというわけである。どれを読むべきか、なのであるけど、私がずっと読みたいと思って長年その背を眺めてきたのは平凡社版であるのだが、これは字体が小さいのと印刷も薄くてかすれていたりするので、これはやめて、まずは国書刊行会のコレクションをひろげた。しかしである、読みはじめて何か違和感がある。それは何かというと、私が長年読みたかった『吉野大夫』はこれではない、という私の内部からの違和の声だったのだ。どうしてかはすぐにわかった。私が積年の思いを込めていたのはやはり平凡社版だったのである。それと、これらの中では一番古く出版されたこれをまずはよむべきではないかというのもある。

もうひとつの理由がある。それは簡単。私は普段左手だけで本を支え持って読んでいるので、重すぎる本はずっと読んでいると手がシンドクなるのである。であるからして、小学館のものは残念ながらご辞退申し上げたのである。そうして残ったのがふたつ。もう書かなくとも分かるかもしれないけど、国書刊行会のものも分厚くて結構重いうえに、左手ひとつというゾンザイな扱い方では、間違いなく本自体が痛むのでこれまた隣に控えさせることにした。

こうして平凡社版が選ばれたわけである。これは表紙もない古本のうえに既に劣化がすすんでおり、ちょっとくらい汚損しても個人的にはショックがないという、自分勝手な都合もあってかスイスイ読みすすめることができそうなのである。さて以上のようなかんじで、ようやく読みはじめることにした。

【6】

本書の結構としては単純なものかもしれない。作者の分身と思われる人物が、江戸時代の信州追分という宿場にいたという、「吉野大夫」なる遊女のことをある時知り、そのこと(彼女の墓とか履歴)を知ろうとして、アチコチ訪ね歩いたり歩かなかったり追分辺りの別荘に滞在する知人などとの関係を通して、「吉野大夫」に迫る過程が綴られていくだけである。

ふつうの学者か何かなら、色々下調べをするなりして、それなりに学術書的な筆致で対象に迫ろうとするのだろうが、後藤明生自身は本人も言うように学者ではなく小説家であるので、それほど学問的厳密さにはこだわらずに、小説家特有(?)の知的奔放さを発揮して、アレコレ類推を重ねていくのである。その類推過程で浮かびあがるのは、島崎藤村からはじまり堀辰雄のことに及び、また、それから追分付近に在住する知り合いや追分の別荘などに滞在する人たちとの関係である。さらには、西鶴作品に出てくる別の吉野大夫に連想が脱線するにおよぶところなどは、なかなかおもしろい箇所である。

現在なら、ネットなどですぐにある程度の知識は得られるだろうが、執筆当時(昭和50年代)のことであるから、調べごとはそううまくはいかない。だいいち、この「吉野大夫」自身が全く有名ではないので、この人物自身に迫る過程は脱線せざるを得ないのかもしれない。というか、それを見越して調べ書いている。ここで「脱線」と書いたが、厳密に言うと「脱線」ではなくて、レールのポイントが切り替わったといえるものかもしれない。脱線だとそこで動かなくなるのだけども、ポイントの切り替えなら、進む方向が違ってくるだけで、いわば世界線が変わるようにこの小説の行き着く先が変わるだけかもしれない。

後藤明生の小説における方法論を「アミダくじ式」というのだが、アミダくじとは出発点が違えば、到達点も違ってくるのが一般的な考えだが、後藤明生式アミダくじは、出発点は一個所しかなくて徐々に分岐点が増えてきてどの方向に進んでいくのか分からなくなり、無数の到達点が見えてくるかもしれないものに思えることがある。しかし後藤明生には、「楕円」という考え方もあり、一方には作者(と思われる人物の)視点となる中心点と、もう一方にはモチーフとなる「吉野大夫」という人物の中心があり、この二つの点を取り巻く形で作品は「楕円」を描くように(結果的には)進行していく。であるので、読者は必ず、このふたつの所へと目が向くようになっている。いわば、レールの切り替わった列車から見える風景は違っても終着駅は同じであるのとおなじようなものである。

【7】

さて、この「吉野大夫」とは、江戸時代初期に追分宿で、いわば非公式の遊女として存在したようである(この、非公式・非公認というのも、なんだか手前勝手ないいかたである)。「大夫」という名は後世付けられたようである。当時は、「飯盛女(本来は、食売女)」と呼ばれ表記されていたようである。私はこのことに詳しくないので、『宿場と飯盛女』(宇佐美ミサ子・著)という本を親から借り受けて読もうと思っているけど、いつ読むかは分らない。この本には索引がないので「吉野大夫」という人物について書かれてあるかは分らない。ただ、追分宿に関する史料や、飯盛女の墓が載っている。まあ、ネットで調べたら何か分かるかもしれないけど、今のところそれをするつもりはない。

【余談】

ところで『吉野大夫』には、次のような文言がある。

「同時代の、士農工商の身分制度を、事実上真逆さまにしたような(後略)」(平凡社版、p81)

ここで書かれている「真逆さま」とは、文脈から判断するに、「まっさかさま(まさかさま)」と読めるだろう(上から下に落ちるというような意味合いでの、まっさかさま)。というか、この時代には「まぎゃく」とは読まないだろう。しかし、現代の読者がここを読んだら「まぎゃく」と読むかもしれない。勘の良い読者なら、「もしかして、まぎゃく、じゃなくて、まっさかさまじゃないか?」と思うかもしれないけども。
それはいいとして、ここでふと思ったのだが、この文章で使われた「真逆さま」とは、意味的に「まぎゃく」と近いのではないのかということ。つまり、「真逆」を、「まぎゃく」と読もうが「まさか」と読もうがどちらでもいいのではないかということに思い至った。本書を読んで、まさか(!)「まぎゃく」という読み方は、それはそれでいいんじゃないかと思わせられるとは思わなんだ。

(成城比丘太郎)


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