- 谷崎のモチーフにあふれた短篇集。
- 同工異曲のきらいもありますが。
- 驕慢な女性に虐げられたい、そのためには女性を調教・訓育しなければ(使命感)。
- おススメ度:★★★★☆
『少年』……「私」はある日学校で、いつも弱々しい「信一」から(彼の家で行われるという)祭りに誘われます。豪邸に住む信一の姿は普段のものとはちがっていました。家での遊びで、信一が「がき大将の荒くれ男」の「仙吉」を足蹴にしているのを見て、快感を覚えたりする「私」は、とうとう信一の遊びに蹂躙され愉快さを感ずるまでになります。そこへ信一の姉「光子」も加わり、遊びは遊びの域を越えたものとなります。子供たちのうぶでいながらおそろしい乱交に似たやりとりが繰りひろげられます。そして「私」は夢のような世界の中に新たな恍惚の闇を知るのですが…。少年期の甘酸っぱさを感じさせるところがありつつも、なんだか子供たちのおそろしき姿も。
『幇間』……太鼓持ちになった「三平」の話。誰からも下に見られることによって(人々に)歓楽を提供する三平。彼は「自分の女」が友達に寝取られても結果的に喜ぶ始末です。人生そのものが太鼓持ちのような三平です。
『麒麟』……衛の君主である霊公と、美しい妃の「南子夫人」のもとにやって来た孔子とその弟子一行。孔子の聖人ぶりに感じ入った霊公は、生活を孔子とともにするようになります。それに対抗しようとする南子夫人。はたして、両者のいずれかが霊公を取りこめるのでしょうか。
『魔術師』……どことも知れぬ国にある公園で出会った魔術師の話です。二人連れの男女が、ある国の賑わうある公園に近付くと、あらん限りの狂態をつくそうとする人々の姿を目にします。公園には絢爛たる「サアカス」のイルミネーションなどが輝き、まったく殷賑を極めた感を文章より受けます。二人はやがてさびしげな街区の果てにある魔術師の小屋に到ります。中性的な魔術師のあやしげな業に魅入られる観客たち。その二人の運命はどうなるのでしょうか。「夢を夢(ゆめみ)る」中のような一品。ぜひともアニメーションにでもしてもらいたい一編ですね。
その他の二編は、「混血児」である「ディック」が語る、一人の「露西亜の女」をめぐり、関東大震災時に起きた出来事を描いた『一と房の髪』と、英国での事件を日本国内に引きうつして、谷崎のマゾヒズム論をも語った『日本に於けるクリップン事件』の二つです。
抗いがたい魔力に組みふせられる人々が中心の話です。今読むとさすがに古くさくはありますが、文章にはあやしげな美しさもあり、かつ上品さも感じられて、ちょっと味わうのに良い一冊です。谷崎が書きたかったマゾヒズムの一端が垣間見られるでしょう。
(成城比丘太郎)