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★★★★☆

魔法にかかった男(ディーノ・ブッツァーティ〔著〕、長野徹〔訳〕/東宣出版)

投稿日:2018年1月23日 更新日:

  • ブッツァーティ短篇集1
  • 寓話としても読めるし、現実的な話としても読める
  • しずかに忍び寄る不安や恐怖が味わえる、かも
  • おススメ度:★★★★☆

昨年末、新たに掘られた鉱山に、いくつかの展示がなされたという報を受けて、すぐさま駆けつけてみると、その入口には『魔法にかかった男』という立て札が掲げられていて、そこには発掘された坑道の簡単な地図として、20の行路が書かれており、それらがある時は似たような形でもって、未知なる空間へと導いてくれることが付記されていた。注意事項として、人によっては幻想酔いを起こすおそれありと、小さく書かれていたのだが、幻想に溺れたい私としては、現実に侵食するだろうその効果に期待していた(実際は、幻想にただ浸るというより、現実がいかに幻想的な寓話に満ちているかを教えられる結果になったと、最初に言っておきたい)。まず入口において幾許かの入場料を払うと、「魔法にかかった男」にしてもらうべく、私はおそるおそる、しかしうきうきと足を踏み入れた。

20の坑道があるといっても、それらは単純に、入口からそれぞれ放射状にのびているわけではなく、不規則に分岐しながら連なっているわけでもなく、幾層にもなったそれぞれの坑道が、重なり合っているように見えて、また、私の観点が変われば一筋の坑道にも思え、その構造自体はかなりフレキシブルなものに思えた。そもそも、私がまず入った入口そのものが、もうすでにひとつの坑道としての展示であり、そこから一番近くにある展示物と、平面的あるいは立体的に有機的な繋がりをもち、歩くごとにパノラミックに展開するそれらが、ときに視点を変えることで、いかようにも姿を変えることに気付いた(要は、これはただ見せるためだけの展示ではなく、観覧者自身が参加して展示を作りあげるということだ)。まず目に入ったのが、動物を扱ったコーナーともいえるもので、そこにはふつうの頭で見ると、ただ現実の世界に動物を取りこんで、それを異化させているように思えた。それは簡単ながら私に効果的なものに思えた。

第一の作品【インブリアーニ氏の犯罪】ではインブリアーニ氏の家に迷いこんだ(?)猫を、氏がかわいがったことから起こる不条理な結末が覗き見られた。彼が起こしたことは過失に近いものなのだが、その結果は私の身を震わせた。その一編の後方に見える【巨きくなるハリネズミ】では、人語を解するハリネズミの闖入により、まるでカフカの世界を思わせるようになり、そうかと思ったのだがわかりやすい見世物で、人間への動物の抗議もわかりやすく、これは子ども向きの展示としても、おもしろいのではないかと思った。そしてその中心に位置する【あるペットの恐るべき復讐】は、ある娘の体験談が、おそろしいイメージとともに展開されていた。これは注意書き(訳者あとがき)によると、ある女性から聞いた夢の話を作品化したもののようだが、なるほど前後の脈略のなさと、これまたカフカのような味わいは、たしかに夢のようだ。そしてこの一編があるからこそ、こうした視点が私に生まれたわけだと納得した。

とにかく動物というのは人を惹きつけるものがあるらしい(私のいた世界でも、どうぶつたちとフレンズになる空間が流行っているが)。このなかでは、とくに蜘蛛の巣のように張られた作品群が目をついた。蜘蛛の巣とは、世界の中心でありながら、はかないものでもあり、同時に何らかのよすがにもなるものと理解しているが、この展示を表すのにちょうどよいかもしれない。【剣闘士】はまず、その光景に絵画的な印象を受けた。蜘蛛が人のほしいままにされるという、宿命の寓意にも見え、また蜘蛛を死地に追いやった猊下自身も背後に不安に満ちた声を感じるところは、私の背後を粟立たせた。また【機械】という作品に、巨大な蜘蛛が登場するが、こちらの蜘蛛は逆に人を脅かす存在だ。少年という未来ある存在に大きなことを期待するようにも見えるが、ラストの1行はまたこちらの不安をあおる。

この2作品を読んでいて、この『魔法にかかった男』は不安に満ちていることを確認した。【新しい警察署長】で掲げられている無数の黄色い旗。黄色い色というのは不安を表すらしい。このイメージは一番私を不安に陥れ、しばらく動悸と冷や汗が止まらなかった。先ほどの【剣闘士】や【巨きくなるハリネズミ】や【機械】と並べてみると、不安の眩暈が増幅されるようだ。さらにそこへ、【リゴレット】という作品では、よろこばしい軍事パレードから、不穏なラストへと雪崩をうつように不安が襲い、現代技術への不吉なイメージを抱かせた。

私は不安にあてられすぎたらしい。すぐにその場を離れると、次に展示がいくつか見渡すことのできる場所に向かった。そこにたどり着いた瞬間、私は懐かしい苦しみに目が潤むのをおぼえた。そこは、以前訪れたことのある『タタール人の砂漠』を想起させる場だった。【エレブス自動車整備工場】は、何事も無茶をするのは若い時だけ、過ぎ去った時間だけが、無情にもあらゆる期待の情熱を葬り去ってしまう。わずかな望みだけを幻のように残して、ということを私に思い知らせた。【個人的な付き添い】では、主人公の語り手を常に待っている男のことが描かれている。一見抽象的だが、私にこれ以上の真実はないと一瞬思わせた。不安だったはずの語り手は年を経ることにより、男の意図が分かるのか。それは死のことだろうか、それとも人生に期待しすぎることに対する戒めだろうか。いずれにしても、自分を見張り、付き添い、待っていてくれる存在があるのは、不安を克服したものには甘美なものとなるだろう。【新しい奇妙な友人たち】で描かれた、平板化された日々となるよりも、よほどましだろう。

名残惜しみながらその場から離れると、私は不安よりも希望や多幸を感じさせるエリアに入った。表題作【魔法にかかった男】では、妥協の人生を送っていたジュゼッペ・ガスパリ(穀物商・44歳)が、ある山あいの村に逗留中、峡谷へと散歩をしに行く。そこは彼を魔法にかけて、何か偉大な人物へと生まれなおさせる場所だった。彼に見舞う運命の矢も、彼にとっては、平凡な人生を終わらせる際にあげる、苦痛を伴う凱歌だったのだろうか。幻滅の人生からの、よろこばしき脱出が、ガスパリ自身には皮肉ながらも、祝福的に描ききられる。また、【勝利】で描かれるのは、人をうらまず、成功を望まないまま死んだ、影が薄く貧しい男の話。彼のその清廉な人生を讃えるように、町中でパレードが始まる。平凡に暮らしているように見えても、心の中には独自の苦しみがあった、そのことを告げ知らせる一編。ただしどちらもそうだが、死んでからの話だ。例えば芸術家の話として、生前と死後との、どちらで評価されるのを望むだろうか(愚問)。

その後、いくつかのアトラクションを過ぎ、とうとう最後の【屋根裏部屋】にたどり着いた。画家の屋根裏部屋に、ある日忽然と現れたリンゴの山。リンゴというと禁断の実か。【大蛇】という作品では、蛇が「冒険、夢物語、祝福されし恐怖」を表すとあるように、リンゴと蛇という神話的イメージが、このふたつを重ね合わせるときに、画家を襲うリンゴの「妖しい酩酊」と、悪意あるものの誘惑へと変化し、この画家のなかにある葛藤が、神との対話に読みかえられる。ここにあるのは、若者のもつ不安と期待と焦燥と最後の絶望が混ぜ合わされてできた「黒い魂」を、泥のように吐き出すしかないさだめか。

私は満足して出口へ滑り出た。出口で私を待っていたのは、管理人である人物の、さらにふたつの坑道を発掘予定です、という朗報だった。さらなる楽しみの味覚を予感して、私の目は輝いた。しかし、すぐに私の期待感は、自らの境遇により、萎んでいくのを覚えた。なぜならこれら坑道の発掘に、私は何ら関わることがないうえに、私自身も坑道を掘るしかないができるわけもないという、不可能かと思われる事業への無力感からだった。

どこをどう通ったのか判然としないまま、気付くと私は帰宅していて、自室の机に腰かけていた。私の脳裏には、今日見てきた【個人的な付き添い】という作品のことが張りついていた。あれはどこかで見たことがある。しばらく夕方の暗闇がしみいってくるなかを、じっと考えていた。完全に夜になる頃に、私は、あの作品が、昔私が記した短篇に似ているのではないかと思い立ち、電灯をつけると、机の引き出しから古い原稿を取り出した。やはりそうだった。【個人的な付き添い】は、ずっと主人公に付き添ってくれている男のことが書かれていたが、私が書いたものは、それとは少し異なっていながらも、主人公にずっと付き合ってくれている誰かを、こちらが待つのではなく、追いかけていくという内容だった。こういう着想はどこにでもあるものだろうか。私はじっと、その古くかすんだ原稿用紙を見つめていたが、おもむろにパソコンを起動すると、その原稿に手を加えて、新たな短篇作品を書き上げるべく、大きく息を吐きだしたとさ。

(成城比丘太郎)


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