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「価値観」について(成城比丘太郎のコラム-14)

投稿日:2019年7月15日 更新日:

  • コラム(014)
  • 「価値観」という言葉の意味について
  • いくつかの国語辞典から、その字義を考える
  • おススメ度:特になし

【はじめに】

今回書くのは、私の価値観についてではなくて、「価値観」という単語(概念)がどのような意味で使われているのかを、私論として述べたものです。ここでは、私が抱いている価値観ではなくて、「価値観」の字義は何か?、という私が長年抱いている疑問を、試論として書きだします。ですので、結構とっちらかした小論になるので、適当に読みとばしてください。

【「価値観」をウィキペディアからみる】

ウィキペディアの「価値観(sense-of-values)」の項目をみる限りでは、以下のような意味で使われているのではないかとのことです(2019年7月10日閲覧)。

(1)「何に価値があると認めるかに関する考え」(広辞苑第六版より)

(2)「価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となるものの見方」(広辞苑第六版より)

(3)「「ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断」(大辞泉より)

「(1)」は、わかったようでわからない。つまりここでは、「これには価値があるぞ(それに反してあるいはあれには価値はないぞ)」という見方なのでしょう。多くの人は「価値観」という言葉をこの意味で用いているかと思われますが、しかしよくわからない。もしそうなら、なぜ「価値観」という字面にするのか、その意味が私にはわからない。なぜ「(何に価値を認めるかという)ものの考え方・見方」や「価値の感覚」というような意味合いのことを、「価値観」と書くのか。そう思う詳しいわけは後で述べます。

「(2)」や「(3)」は、価値判断(やその時の基準)との違いが意味的にあるのかないのかが、私にはわからない。

ちなみに、広辞苑第五版では「価値観」の字義を、

「個人もしくは集団が世界の中の事象に対して下す価値判断の総体」

というように、「価値判断の総体」としています。ふつうに読むなら、「総体」ということで何らおかしいところはないのでしょう。しかし、「価値判断の総体」としたところで、なぜ「価値判断の総体」のことを「価値観」と書くのかその理由までは書かれていないので、私にはさっぱりわかりません。これを読んだ時(20年ほど前)に、世の中に無数にある「~観」の「総体」として「価値観」を意味づけているのかなと、変な見方をしたほどです。この字義では、おそらく読んだ人は「なんのことやら」となるかもしれません(私のようにヒネクレ者なら)。

ちなみに『明鏡国語辞典』では、

「物事を評価し、行動を決定するときの基準になる、何にどのような価値を認めるかという個人個人の判断」

というように、解釈的には誤解の余地もないであろう、一分のすきもない説明になっている。とはいえ、なぜ「価値観」と書くのかの理由は書かれていない。

【最新の辞典からみる】

では私の手元にある最新の国語辞典である、『三省堂現代新国語辞典第六版』ではどうなっているのか。

「何に「価値」を認めるかということについての考え方」

としています。例として、「価値観の相違」などを挙げています。

ではこの「価値」とは何なのかというと、同辞典では、

「[哲学などで]快・不快、損得、やりがい、善悪などを感じたり考えたりしながら、個々の人間が追求するもの」

とあります。つまり、「価値観」とは、どういった事物や事象に「快・不快」や「善悪など」を「認めるかということについての考え方」という字義に、この辞典ではなります。この辞典は高校生以上向けでもあるのですが、これで分かるでしょうか。こう書くならばまだ、「ものの考え方」という意味の方が、学生生徒にはしっくりくるのではないでしょうか。でも私の抱く問題はこんなものではありません。

【「価値」とは何か?】

私の疑問を書く前に、「価値」とは何かを、『岩波哲学思想事典』でみたいと思います。同事典によると、西洋哲学でいう「価値」とは大まかに言うと以下のように捉えられます。

「広い意味では<善いもの>ないし<善い>といわれる性質のことである」として、一般的には善いものと悪いものを含むとされ、「価値意識には、欲求性向のみではなく<規範意識>も含まれる」とされる。また「価値にはさまざまな様相」や「区分」がある。そして、「価値は、人間(評価主体)がある対象(客体)の善さを感得し承認することによって成立する」ものでもある。

世間一般で使われる「価値観」という言葉は、概念的には、「規範意識」と並列的に使用されるものであり、また、ある人間(主体)がある事象(客体)に対してそれらをさまざまに価値論的に区別して、さらにそれらが「善い」ものであるかどうかを(主体が)判断することを含んでいると思われます。

「価値観」という言葉は、「(西洋哲学でいう)価値論」と似ているようであり、また似ていない部分もあると個人的には思うので、そのあたりが「価値観」という(よくわからない)単語の誕生に寄与したのかなと思うのですが、依然として分からない。

【「~観」との比較から】

私がよくわからないというわけは、世間によく氾濫している「~観」という単語と比べると分かります。たとえば、人生観とか恋愛観とか死生観とか世界観とか音楽観とか……これらは意味としては「~についての、個人個人の見方」とか「~とは何なのか」というように使われていると思います。

実際に「人生観」は、『三省堂現代新国語辞典第六版』では、

「人生の意義・目的・価値などについての見方・考え方」

とあります。

この「人生観」の字義をかりそめにも適用するならば、「価値観」とは、

《「価値」とは何なのか、「価値」とはどういった意義・目的をもつものなのか、あるいは「価値」とはどのようにあらわれるものなのか》

というような、価値論に近いような意味として用いられるはずです。しかし、「価値観」の一般的な字義はそうではないと思われます。一般的な「価値観」とは、価値判断に準じる意味でしか使われていないと思われます。これがなぜなのかはわかりません。経済学でいう「価値」をはぶいたとしても、なぜ「価値観」が、「価値(善いもの)」とは何なのか、という意味で使われることがないのか。

これがとりあえずの疑問なのです。いつから「価値観」が使われたのかわかりません。私としてはこの疑問についての答えは、だいたい出ているのですが、それについてはここでは書きません。なぜならあまり意味がないからです。それこそ書く価値がないからです。

【とりあえずの結論】

「価値観」の字義とは、大別して、個人的にはふたつの意味をもちます。

(一)ものの見方に関する価値判断。またはその判断についての基準になる考え。

(二)「価値」とは何なのか、についての個人個人の考え。価値論に似る。

というわけで、世間的には「(一)」の意味で用いられていると思われます。私としては、「(二)」の意味でも用いたいのですが、そうする価値はあまりないので、これからも「価値観」という単語は特別なことがない限り、用いることがありません。というか、「価値観」という言葉は、口にできません。なぜなら、やはり「価値観」という字面を使う意味がよくわからないから、ということが今回(改めて)わかりました。

【追記】

今回は、『日本国語大辞典』のような大物辞典にはあたっていないので、そこでは何と書かれているのかは分りません。

(成城比丘太郎)


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