- ある不思議な黒人死刑囚と看守たちとの物語
- 残酷でグロテスク、そしてどことなく不穏
- 前半では「何を意味するか」は語られない
- おススメ度:★★★☆☆
この「グリーン・マイル」は、私のような40代には忘れられない映画である。それもいい意味で忘れられないというのではなく、映画のいくつかのシーンが強烈に悪趣味かつグロテスクであったためだ。同じくキング原作で刑務所を舞台にした「ショーシャンクの空に」は、残酷さの中にもある種の静謐さがあったが、ひたすら気持ち悪い映像だった。原作者と監督が同じでどうしてああなったのかは分からないが、振り返ってみるとそのシーンばかりが印象に残っていて、いったい何を意味する物語だったのかが抜け落ちている。それが今回、小説版を読んでみようと思った動機である。
最初に原作が刊行された時は、事実上、一つの長編を6冊に分冊して発刊された。これはキング自身が語っているところであるが、分冊することによって新刊が出るまで(作者にさえ)結末が分からない、ということらしい。次のお話までドキドキして待ってね、ということだろう。今では新潮文庫版は廃刊されて、小学館から<上><下>で発行されているようだ。ただ、今回は作者の当時の趣旨に沿って、分冊で読んでいる。今回の三冊のサブタイトルを挙げると、
1.ふたりの少女の死
2.死刑囚と鼠
3.コーフィの手
となる。これで、大体のストーリーは想像つくと思われるが、簡単に要約するとこんな感じである。
(あらすじ)大恐慌時代(1932年)のアメリカ南部にあるコールド・マウンテン刑務所の死刑囚たちの監獄が舞台。看守の主任であるポール・エッジコム主任の視点で物語は語られる。ここで描かれるのは、凶悪犯罪者たちの最期である。物語は、1.のタイトルのように9歳の双子の少女が大男の黒人・コーフィによって強姦・殺人され(という設定)、そのコーフィが刑務所に送られてくるところから話が始まる。刑務所には何人かの囚人がいるが、2.のタイトルにあるフランス系の死刑囚・迷い込んできた鼠を溺愛するドラクロワや若く凶悪なウィリアムといった死刑囚がクローズアップされる。ポールの同僚の様子も重要で、特に所長のハル、性格の悪い若造の看守パーシーなどとの関りにページが割かれる。
今更ネタバレもないのだが、3.のタイトルにあるように、コーフィにはある秘密の能力がある。そして、小説を読んでいる読者には、コーフィが犯人でないのではないかということがずっと仄めかされている。これがグリーン・マイル(死刑囚が歩くリノリウムの床の色が由来)の主軸で、横軸に看守と囚人たちとの日々のいざこざがある。例えば、上記のドラクロワと鼠のやり取りであったり、ウィリアムが暴れたりするようである。
それにしても、間抜けな話だが、全くこのストーリーの結末を忘れている。主要なシーンは覚えているのだが、未だ頭の中では半分しかつながっていない。私は多分初めてこの本を読む方とあまり変わらない状態でストーリーを追っていると思う。そういう前提で、感想を述べると、
やっぱり良く分からない。
のである。もちろん、描かれている内容はそれなりに興味深いし、キングらしい露悪的な描写や容赦なく残酷なシーンなどが展開しているのは分かるしそれなりに面白い。でも、じゃあ、コーフィのテーマがどこへ向かって行くのかはさっぱりだ。予感としては、何となくキリスト教的な視点が取り入れられているのは分かるのだが、ただ、ひたすら陰鬱な刑務所の様子が語られているのがここまで3巻の内容だ。
と、いう訳で、結論は持ち越して、後半で中身に踏み込んでみたい。ただ、他のキングの著作に比べると幾分、もったいぶった展開であるし、何だか熱量を感じないのだが、それが後半でひっくり返ることを期待して、また、続きを読んでみたいと思う。
因みに映画のシーンもだんだん思い出してきたが、かなり忠実に再現されているのは間違いない。映画では強烈なシーンを4つ覚えているが、そのうち半分は出てきた。次に出てくるのは、4.のサブタイトルだが、いやはや、絶対に二度と見たくない映画だという感想は変わっていない。
(きうら)