- 微妙な時期に罹った
- 大人になって初めて高熱が続いた
- 治るには治った
- おススメ度:なし
Day1
朝から喉に違和感があった。軽い痛みのような? しかし扁桃腺が腫れたりするのは良くあるので気にせず出社した。午前中は普通に仕事していたのだが、途中から話す言葉が全てデスボイス気味に。これはまずいかも知れない、ただ、寝たら治るだろうと思い、午後休を取った。
14:00ごろ、税抜398円もする日清のカップ麺をアテに一杯やりながら、テキトーにやり過ごし、気持ち悪いので風呂に入って、睡眠薬を飲んで寝た。
19:00ごろ激しい喉の痛みと高熱で目が覚める。大量の痰が絡まって吐き出すのだが、色は白くてきれいだった。どちらにしても寒気がするので再び睡眠薬を飲んで布団にくるまって寝た。が、不眠症であるので、数時間で目が覚める。睡眠薬、基本3時間で切れることが分かる。そこから朝までは非常に辛かった。熱と言うより圧倒的な喉の痛みが辛い。つばを飲み込むのも辛い。夜明けを待った。長かった。
Day2
朝一、自ら運転し、地元の耳鼻咽喉科に通院した。受付番号が5なので車で待つように言われる。9:00でも車内は暑いが、それより喉。喉の痛みが解消されるなら何でもいい。ロキソニンなどは全く効かない。順番が来て9:20ごろ携帯で呼ばれた。ちょっと隔離気味に待合で10分ほど待った。待合から聞こえるのどかな母親と子供のトーク。一方、喉が破れそうに痛い。そして診察室に呼ばれた。
先生は冷静に喉を観察「結構腫れてますね」だろうな「コロナかどうか見てみます」と言って鼻をぐりぐりされた。15分で結果が出ると言われたが、5分ほどで結果が出た。試薬に線が2本。これはもちろん「コロナ」である。先生はかなりありふれた感じで語った。
この時点で私はもうどうでも良くなっていた。とにかく抗炎症薬、痰を切る薬、咳止め、うがい薬、熱さましの頓服を処方してもらって隣の薬局で受け取る。そのまま自宅へ。何でもいいので薬を飲んだ。その後の記憶は断片的である。ほとんど自室で呻いていた。しかし、16:00ごろ、意地でも風呂には入った。気持ち悪かったのだ。その前後の記憶もほとんどない。
Day3
何かの機械の組み立てを延々失敗する夢を見続け、約1時間おきに目が覚める。この夢がシツコイ。ただ、僅かだが喉の痛みが和らいだ気がする。一方熱が38-39度前後で推移し、体が熱い。頭痛はないがその分、喉が痛い。この日、意地でもビールを飲んでやろうと思って一缶開けたが「炭酸が痛い」のである。悔しいので半分は飲んだが、激痛の余りそれ以後は諦めた。その他「温めたお粥」が痛い。喉を通る時に僅かな熱で痛みが走る。あと、ざるそばを食べようとしたが、麺つゆが塩辛すぎて吐き出した。ここにきて味覚に異常が発生していることを知った。
しかし、のどの痛みは薬を飲む度に少しずつ和らいでいく。私はあの耳鼻咽喉科の先生を信じ、ひたすらうがいをし、夏蒲団を抱えて自室で震えていた。この日は3回(セット)も睡眠薬を飲んだが、結局、ほとんど眠れなかった。
Day4
反撃ののろしは上がった。我が体内の抗ウイルス部隊は現代医薬の支援を受け、息を吹き返し、徐々にコロナという喉の痛みを押し返していく。初日からするとかなり長い間、37-39度の熱の中、体内で激しい綱引きを繰り広げていることになる。のどの痛みはマシになっていくが、恐らくそのために体力を消耗していくのだろう。全く動く気力が起きない。家人にSNSで用事を頼んでいたのだが、最後にはスマホを打つのが面倒になって音声でやり取りした。ちなみに熱が出ると、スマホのスクロールやフリックという基本動作にエラーが発生し、普段は絶対に開かない広告が表示されていた。スマホが使えないほど消耗する、と言うのは初めての経験だった。
Day5
相変わらず不安定な睡眠だったが、ついに動画を観られるくらいには回復してきた。喉もほぼ痛くない。ビールも飲める。消毒だと思って2杯ほど飲んだが、さすがに旨くはなかった。とはいえ、歩くとふら付くので外出もできず、ネットでひたすら「ふしぎの海のナディア」を観ていた。死ぬ前にもう一度通してみようと思っていたが、まさかこのタイミングで実現するとは思わなかった。「南の島編」もじっくり見た。眼が痛くなってきたが、深夜までかけて39話を観切った。熱は37度台に落ちていた。パソコンも開き、遅れていた成城氏のブログ投稿も行った。
Day6
完全勝利とはいかなかったが、とりあえず、日常生活へ戻りつつあった。外出しスーパーへ買い物に行ったが問題なし。喉もほとんど痛くない。ひとまず私はコロナとの戦いに勝ったのであろう。しかし、この病には厄介な後遺症と言うものがある。一つは嗅覚がほとんどなくなったこと。味はするが、香りがないので、塩辛い・甘いという情報だけで飯が全く旨くない。まあ、平素から私は食に関しては殆ど関心がないので別に構わない。飯がまずいならまずいなりに食えばいいのだ。もう一点は空咳が残った。今回、コロナウイルスは肺までは達してないと思うが、時々思い出したように咳が出る。やはり部分的に持って行かれたのだろう。
ちなみにこの間、仕事は全くできなかった。職場には迷惑をかけたと思うが、私もコロナに罹る予定は全くなかった。何らかの保険金目当てでない限り、積極的に病気になりたい人間なんて普通はいない。また、成人してから寝込むほどの病気は初めてだった。五類に移行してからの罹患だったが、私もこのコロナ禍にあって、ついに傍観者席から引き離されたのである。
ちなみに、私のおかげで家人も罹患してしまった。症状が全く同じである。私ほど熱は出ていないようだが。ひとまず、経過を観察している。
Day7
朝から眼科に行ってきた。これは緑内障疑いがあるためで、もともと予定していた通院である。結果は近視が酷すぎて正直区別がつかないが、悪化していることはないとのことだった。
思い返してみると、喉の痛み以外、余り記憶に残らない一週間だった。ただ、高熱で真夜中に目が覚め、洗面所に大量の痰を吐き出した時は「この延長線上に死があるな」という確信はあった。私がもう20歳年老いていた場合、もっと違った結果だったかもしれない。
私にとって死の概念は垂直な永遠の眠りの象徴として、半ば理想と化している。そのため、恐怖は無かった。ただ、まだ死ねない理由はそこそこ残っている。それが関係性だ。自分から切れない関係性がいくつもつながったままだ。
明日は出勤予定。こうしてまたリレーションし、先の見えない日常と言う現実に戻るのである。
では、次はできるだけちゃんとしたブログの更新にて。
(きうら)