★★★★☆

エンドレスエイトの驚愕(三浦俊彦/春秋社)

投稿日:2019年4月8日 更新日:

「ハルヒ@人間原理を考える」

「エンドレスエイト」の解釈可能性を芸術哲学的に、分析哲学的に探る

後半の記事は、2019年冬アニメの感想まとめです

おススメ度:★★★★☆(ハルヒが好きなら)

【はじめに、エンドレスエイトとは?】

今年は、『涼宮ハルヒの憂鬱(以下、ハルヒ)』の第二期放送から10年。すなわち、『ハルヒ』の没後、いや、オワコンと化したとされる年から10年が経った。本当に、『ハルヒ』というコンテンツが終わったのかどうかは、私にはわからないのだが、第三期アニメ放送への待望論をあまり聞かないので、もう終わったのかもしれない。ちなみに原作の方も滞っているので、KADOKAWA側は終わらせようとしているのだろうか。個人的には、第三期が始まったら、喜んで観ますよ。まあ、何にせよ、『ハルヒ』は、アニメオタクを自称するならば必ず観ておかなければならない、というか観ていないオタクはモグリでしかないといえるほどなのかどうか分からないけど、色んな意味で名作なのです(今でも)。

さて、その『ハルヒ』を終わらせた一因となったかもしれない「エンドレスエイト」を知らない人はいないでしょう、というか、知らない人はこんな記事を読んではいないでしょうけれど、一応概要を書いておきます。2006年に第一期、2009年に第二期が放送された、『ハルヒ』というハードSF風日常学園ラブコメアニメ(もしくは学園ラブコメ風ハードSFアニメ)の、第二期において放送されたのが「エンドレスエイト(以下、EE)」です。「EE」は、ハルヒらの過ごした、夏休み最後の二週間を繰り返し描いたものです。正確には、現象的に一万五千回以上もその二週間が繰り返されたことを描いた話なのです。で、そのループ現象を、実際のアニメ放送において、8回もほぼ同じ内容の話を繰り返し制作放送したということで、色んな意味で顰蹙をかったエピソードなのです。

【本書について】

本書は、その「EE」を、分析哲学・美学専攻の著者が、物理学・アートといった面から色々と解釈していくという、かなり気合の入った、壮大な解釈学的伽藍といったかんじです。8話にもわたってなぜ、放送事故ともとれるような暴挙とも実験的ともとれるような、ほぼ同じ内容のエピソードを繰り返し制作放送したのかを邪推するところから考察がはじまり、やがて本書のキータームである「人間原理」を軸に、本書の内容は物理学から芸術学までをもまきこんだ、目眩めくメタ的解釈の嵐となるのです。本書は、ハルヒと分析哲学と現代アートが好きな人なら(どれだけいるか?)、読んでおくべき本でしょう。

まずは、作中で、登場人物である古泉が語る「人間原理」解釈の甘さというか、おかしなところを、物理学の観点から指摘するところからはじまります。ふつうのアニメなら、少しくらい学問的に変なところがあってもそれはそれで許容できるのでしょうが、『ハルヒ』においては一応ハードSFを思わせる世界設定がその作品の肝となる部分があるので、著者のする批判も納得がいくのです。こういった突っ込みが、アニメ鑑賞において重要であることを指摘してくれるのです。

正直に言うと、現代アート理論に全く詳しくない私からすると、なるほどなぁ、としか思えない部分もあるのですが、妙に納得してしまいます。たとえば、ジョン・ケージのとある作品の実質的な演奏時間と「EE」内時間との符号なんかは、なるほどと思います。もしこれを制作側が意識していたとしたらおもしろそうではあります。この芸術学的解釈は、読者(というかアニメ鑑賞者)を巻き込んで、様々な「EE」世界のあり方の、物理学的可能性へと導いてくれます。そして、最後には、長門本人の存在を、多世界解釈的なレベルから、彼女の意識レベルまでをも取り込みつつ、その解釈自体がループ状になるとして、そのことをメタ(ループ)解釈として示してくれるのです。これはもう、単なるアニメ読解ではありません。ふつうに見られるアニメ読解とは、制作者がその謎解きを作品に埋め込んで、そのことを視聴者が掘り出してくるという、ある意味読解ではない読解なんですが、これはそうではありません。もしここに書かれたことを、制作者が意図して描いていたならば、それはもうスゴイとしか言いようがないですが(逆に言うと、著者が深読みしすぎ)。

【本書の気になるところ】

本書において、いくつか気になる部分があります。まず、何度も「制作委員会」と書いていることです。そもそも、「制作委員会」なる用語は見たことがありません。業界的には、「製作委員会(方式)」という用語はあり、これはウィキペディアにもあるように、コンテンツ製作に際して多数の出資者(社)からなる集合体のことです。でも、本書では一度も「製作委員会」とは書かれていません。これは何を指すのかは分りませんが、おおよそ予想はつきます。まず『ハルヒ』の製作主体は角川書店(とその他)だと思われます。もちろん京都アニメーション(京アニ)も関わっているでしょうが、角川側がメインでしょう。以前とあるプロデューサーが「ハルヒのアニメ化を京アニに断られたら断念する」と語っていたように、決定権は角川(とその他)にあると思われます。この「制作委員会」という表記が「製作委員会」の誤りなら別にいいのですが、違うように思います。本書を読む限り、「EE」のアニメ制作において、京アニと角川の共謀のようなものとして書きたいがために「制作委員会」と書いた部分があるのではないでしょうか。「制作」だけだと、京アニだけにしか「EE」制作の責は負えそうにありませんから。でも。「EE」自体が後の『消失』(映画)のための穴埋めだとするなら、その責は角川だけにありそうですが。

あと、著者は「みくるちゃん」が好きなようです。正統オタクは「長門」が好きのようなのですが、著者自身はそうではないとしています。それは、著者自身の観点からいうと自分はオタクとしては「最低辺」と書くのですが、どう考えても、一番魅力的なのはハルヒ本人だと思うのですが。まあ、オタクに正統も異端もないと思うので、どうでもいいですけど。

それから、著者の哲学に関する他の本を読んだ時にも思ったのですが、どうも分かりやすすぎて、ひっかかる部分がないというか、読んだ後の読み切れなかった余剰部分がないというか、どうにもすんなり読めてしまいます。これは読者である私個人の問題なのでしょうが。

【「EE」制作の合理的な解釈】

さて、もし、「EE」が「美的」にも「倫理的」にも許されないとするなら、なぜあのようなものを制作したのかを考えればいいのでしょう。まあ、『消失』という映画のために、アニメ化エピソードが足りないために、引き延ばして制作されたとみるのがもっともなところでしょう。無理矢理に考えるならば、角川側を含む製作サイドが、『ハルヒ』という神コンテンツを『消失』で消失させたいがために、あのような暴挙を制作サイド(京アニ)に指示した可能性があるのでは(←バカな)。もしくは、人気に胡坐をかいて冒険心を出し、『消失』を盛り上げるためにもなるとおもったのか(←平凡な考え)。結果論としては、『ハルヒ』というコンテンツは縮小したのですから、角川が終わらせたかったとしたら納得がいきます(錯乱)。

もうひとつの可能性としては、京アニ側の都合があるかもしれません。もし『消失』映画までの穴埋めをクライアントである角川から依頼されたとしても、「笹の葉ラプソディ」を除く実質13話を、オリジナル話を入れるなりしてやりくりすることはできたかもしれません。しかし、京アニにはその余裕はなかったとするならばどうでしょう。2008年から2010年にかけて、京アニは、制作スケジュールが立て込んでいたように思います。クラナドアフターストーリーはともかく、2009年からは、オリジナルアニメにけいおん!、ハルヒ二期、そしてハルヒの映画とけいおん二期と、かなりの仕事量だったのではないでしょうか。しかも個人的には、この時期のアニメーションの出来は質的によくなかった。クラナドアフターでは、けいおんのキャラデザをした人の作画監督回では絵が安定してなかったし(クラナド一期のあと連続して見たら分かる)、けいおんはああいうものだからふにゃふにゃした作画でも違和感はなかったが、「ハルヒの溜息」に関しては「EE」よりも構成や作画の出来が悪かった。その中で、ほぼ同じ内容の「EE」は、構成面や作画の面からも楽だったのではないでしょうか。アニメ制作に関与したことないので分りませんが、「EE」制作はオリジナルストーリーを考えるよりは楽でしょう。そう考えると、著者の書く通りに、毎話新たに制作するより、アニメーションとしてはまったく同じもの(同じEE回)を流せばよかったのではないでしょうか。その方が、コンセプチュアルアートとしてはおもしろかったのでしょう。

【EEを楽しく観るには】

正直、「EE」自体には、個人的には恨みはありません。ただ、早朝にわざわざ起きて観た結果があれかよ、というものと、実質13話しかないのにこの後どのエピソードまでアニメ化されるねん、という焦燥にも似たイライラくらいでした。もし映画化を先に発表して夕方に全国同時放送されていたら、そんなに文句はありませんでしたが(映画はよかったわけですから)。それにこちらは、ほぼタダでテレビアニメを観ていたうえに、同クールには、おもろいアニメは他にもありましたし。ひとつだけ文句をつけるなら、それはDVDパッケージの売り方でしょう。本書でも書くように、ボックスで一度に観られる仕様にしていたら、世間的にはもう少しマシな反応になっていたかもしれません。しかし角川は、後の「日常」でもセコイ円盤の売り方をして顰蹙を買っていたので、何も考えていなかったのでしょう。

では、これをオモシロく観るにはですが、以前書いたように、一気に観てホラー気分を味わうか睡眠導入アニメとして観るか、くらいでしょう。それとも、たとえば、小さい子どもなんかは、同じ話数を何回観ても飽きないもんですが、そういう大らかな気持ちで「EE」を観たらどうでしょう。「EE」はおそらく未就学児が観てもおそらくおもしろがる要素はあると思います。そういった意味で、もう少し寛大な気持ちで「EE」をみてもいいのではないでしょうか。

著者が書くように、オタクのマンネリなモラトリアム的アニメ鑑賞の自覚化を「EE」が促すとしても、真正のオタクからしたら大したものではないのです。要は、「EE」とは、他のアニメと代替可能なひとつのすぐれたアニメでしかないのです。まあ、だからこそ「EE」は、ハルヒというコンテンツにとってもったいないということになるのでしょうが。肝心なのは、「ハルヒ」をリアタイで観ていた人は、あの実験的なアニメを味わうことができたのはあれきりなのだということです。もうこれからはないのです。そこから、たった一回という、一回性が立ち現れるのです。まるで人生のように。

本書を読んで、改めて「EE」と『ハルヒ』解釈(物理学的・分析哲学的・美学的)を探りつつ、もう一度『ハルヒ』を見返したくなりました。

【2019年冬アニメについて】

さて、今期(冬アニメ)についてですが、放送作品数は去年より少なくて、しかも特に観なくてもいいと判断して視聴を打ち切った作品もいくつかあったので、基本的には昨年冬期の半分くらいになったでしょうか。その中から適当に評したいと思います。

《ゆっくり編》

私がアニメに求めるひとつの要素が、ゆっくりと観られるというものです。とくにホラー要素もなく、何か深刻なことが起こるわけでもない、そういう作品です。今期でいうと、意外と楽しめたのが、『同居人はひざ、時々、頭のうえ。(ひざうえ)』(監督・鈴木薫)でしょう。これは、作家の主人公が、拾ってきた猫の「はる」と暮らしはじめることを描いたものです。構成としては、同じエピソードを人間の視点と猫の視点から描くのが特徴です。といっても、猫の視点は、人間側の<猫がこう考えていたらいいな>という解釈でしょうが。このアニメで面白いのは、作家が主人公なので、彼が幼少期に読んでいた本が乱歩を模したものになっていることです。しかし、背景にかける予算がなかったからか、彼の部屋の本棚と書店の本棚とのレイアウトがまったく同じものになっているのが残念(ハヤカワらしき文庫が見えます)。しかも、主人公の子ども時代から本棚の内容が変わっていないように見える。個人的に猫とは、じゃれたことがあまりないので分りませんが、このアニメを観ると、犬とはまた違う面白さがありそうだと分かります。

次にゆっくりできそうだなと思ったのが、『私に天使が舞い降りた!(わたてん)』(監督・平牧大輔)でしたが、幾分不安がありました。制作の動画工房は、前期クールで、うざメイドという個人的には怖いアニメをつくっていたので不安だったのですが、しばらく観ていてどうやらゆっくり観られそうと安心しました。しかし、しばらく話数がすすんでから、「松本さん」という隠し玉が登場したのです。しかも、松本さんは一話から影のように登場していたのです。これは怖い。こういう地味にストーカー的人物は現実に存在するので、ある意味うざメイドよりも怖い。主役?の「星野みやこ(みゃー姉)」がそれほど怖がっていないように見えるのが幸いですが。それより、この「みゃー姉」は、どこかで見たおぼえがあると思ったら、『ネト充のススメ』の主人公(声・能登麻美子)とダブる。と思ったら、『ネト充』にも、みゃー姉役の上田麗奈が出てたからか。

《親の不在》

アニメにおいて、親の不在(喪失)はという要素は、ある意味欠かせないものになっているようです。今期だけでも、親が片方がいないものだけを挙げたとしても、ほとんどの作品で親がいないのではないでしょうか。たとえば先に挙げた『ひざうえ』では、主人公である作家の両親は亡くなっているようです。そこへ、これまた孤児?になった猫の「はる」が現れて、同居生活がはじまるわけです。このように親が他界しているという意味で不在をあらわしているものがあれば、親が登場するのに存在しないかのように描かれているものがあります。その典型的なものが、今期の『ドメスティックな彼女(ドメカノ)』(監督・井畑翔太)でしょう。このタイトルを観て、それから物語第一話目で主役級のふたりの高校生がいきなり出会いがしら的にセックスしたので、てっきり(女子の方の)DVな感じになるかなと思ってたら、実はタイトルそのまんまでした。ストーリーを簡単に言うと、このふたりの高校生と、彼女の姉である(男子高校生にとって憧れの)女性教師とのあわせて三人が、お互いの両親の再婚に伴ってきょうだいになり、三人の三角関係で話はすすみます。しかもこの主役は同級生の他の女子にも好かれ、果ては姉(である教師)とも淫行におよんだことが事後的に示されるのです。この教師もどうかと思うが、主役の奴もそのうち刺されるんじゃないか。なによりひどいのは、両親が三人の関係に全く関与できないように描かれていることです。両親は、この三人をきょうだいにするためだけに存在させられているのです(いないものとされている)。これは、物語上の都合のためだけに両親を喪失(死亡)させた『エロマンガ先生』よりもひどい。あまりにも好都合なので、かえって笑いながら観ていた。それに加えて、小説家という設定を安易に用いているのが、なんとなくガクっとくるくらい笑える。制作会社のディオメディア(と監督)の問題なのか。とはいえ、この作品、原作がかなり出版されているので人気があるのか・・・・・・。

いろんな都合でどちらかの親がいないという設定のアニメはありますが、『ドメカノ』の両親が一番かわいそう。この他にも、『デートアライブ』とか、『魔法少女あすか』とか、両親がいないことがファクターになるものは今期アニメでありますが、それはまあアニメ的リアリズムの表現としては自然なものです。『けもフレ』も一応、親に代表される何らかの規範的なものの象徴を、主人公が喪失したとしてみると、ある意味(楽園の)喪失からはじまるわけですが、『けもフレ2』は、最後の方はあまりきちんと観ていないので、とくに書くことはありません。『けもフレ2』と『ケムリクサ』の放送時間が、BSではかぶっていたのだけが笑えますが。

《セカイ系から異世界系へ》

「セカイ系」という用語がいつ使われ出したのか知りませんが、それはおそらく『ブギーポップシリーズ』からなのでしょう。原作の刊行開始当時(1998年)や以前のアニメ?は、ちょうどラノベやアニメから離れていた時期なので(単純にみる余裕がなかった)、名前は知っているものの、内容は全く知りません。何も知らないアニメは、はじめから観ないか、観るとしてもそれなりの予備知識を入れたりします。今期の新アニメは観るつもりがなかったのですが、たまたま一話目を観て、なんとなくおもしろそうであったので、そのまま見続けました。おもしろそうというのは、登場人物たちがまるでエスパーのように戦いはじめるのが妙にシュールで、不思議な笑いが込み上げてきたからです。途中までは分からないまでもそれなりに楽しめたのですが、ラストのエピソードはチンプンカンプンでした。内容はともかく、作品の持っている雰囲気はどこかセカイ系でありつつも、現在なら、登場人物たちの言動は「中二病」として片付けられるものなのかもしれません。もし最近のアニメで、ブギーポップのような格好をして学校を歩き回っていたらそうとしか見えない。この「中二病」とは、自らのイタイ黒歴史的な過去を示すものですが、その契機には自/他の区別があるように思えます。つまり「中二病」とは、(まともな)他者と、<自分は中二病だ>という自己規定との差異において定義づけられるわけです。ところが、『ブギーポップ』には、その様子が感じられません。誰もが、その物語世界において自足していておのれらの置かれている客観的情況に無関心になっているようにみえるのです(もしくは、前-中二病を描いたものと捉えられるかもしれません)。いわば、『ブギーポップ』では、中二病化した世界が進行しているのです。ここではもう、誰もが中二病を意識することがなくなり、それが無意味化されてしまいます。というか、それが純粋な?「セカイ系」なのかもしれませんが。

その一方で、現在蔓延しているのは「異世界もの」でしょう。この「異世界」の乱用?は、おそらく現代物理学の影響もあるのでしょうが、いろんな世界を並列的に描けるのがよいのでしょう。もちろん、何らかの現実からの逃避的な脱却に対する願望もあるのでしょうが、それだけではなさそうです。今期放送していた「異世界もの」には、たとえば『転スラ』のように死後に転生(召喚)されていくというどこか牧歌的な世界を描いたものや、『盾の勇者の成り上がり』(監督・阿保孝雄)のように生きながら?別の可能世界へと召喚されるものがありました。『盾勇者』を観はじめた時、これはモンテクリスト伯のようなハードモードでシビアなものかなと思ってました。世界の滅亡を防ぐという意味ではシビアですが、その実結構なハーレム要素のある勇者ものでした。単に、勇者ものを異世界でおこなうというものですが、同じく勇者ものである『えんどろ~!』(監督・かおり)と違うのは、『盾勇者』には異世界にいるという自覚があるのです。それはまさに劇中で言われるようにゲーム世界への(自覚的な)没入なのです。こうしてみると、「異世界もの」には、普段なら「中二病」として嘲笑される言動を、堂々と行える素地があるのです。いわば、「異世界もの」とは、中二病の世界化を志向した(一面がある)ジャンルともいえるかもしれません。ところで、この『盾勇者』の主要人物のふたりの声は、『青ブタ』のふたり(石川界人・瀬戸麻沙美)と被っているのですが、役のイメージはそれぞれ正反対になっているのがおもしろい。

《怖いアニメ》

さて、今期にはそれなりに怖いと思えるアニメがあります。まずお薦めできるのは『約束のネバーランド』(監督・神戸守)です。最初の方はそれなりに怖かったです。このアニメは、12歳までの子どもたちを育てる孤児院からはじまります。そこでは、ひとりの「ママ」を筆頭に擬似的な家族をつくりあげています。最初は穏やかなかんじなのですが、しかし、第一話目から、平和な孤児院と見えた世界が、実は「鬼」という化け物どもの、食料を育てるための農園(ファーム)でしかなかったことが、登場人物の衝撃を通して鑑賞者にある程度の恐ろしさを与えます。まあまあ怖いのですが、よくよく観ると、このアニメは、カメラワークや演出や次回への引きがサスペンス的な効果を与えているだけで、ホラー要素はそれほどのものではありません。おそらく一回観てしまえばそれでもう十分というものでした。とはいえ、続編のアニメも観るつもりですが。これはおもしろいので今期のサスペンスものでは一番でしょう(それと語りの映像化において、明らかに『わたしを離さないで』の影響が感じられます)。原作が少年ジャンプなので、途中から友情もののようなかんじになりますけど。この『ネバーランド』で一番驚いたのが、主要人物の「ノーマン」の声が、内田真礼だったことです。最初聴いたとき誰か分からなかった。最近は同じような役ばかりだったからなぁ。それにしても「ノーマン(no-man)」とは意味深な名前だが、何も関係ないだろうな。一方、「レイ」の声は、「キルア」と「レグ」を足して割ったようなかんじだなぁ。

それから、直接的な暴力を描いたものとしては、『魔法少女特殊戦あすか』(監督・山本秀世)でしょう。これはよくある過酷な運命に立ち向かう「魔法少女もの」ですが、それなりに身体欠損的な描写があります。魔法少女でこれだけ直接的な暴力描写は他になかったように思いますが、それでもそんなに怖いわけでもグロいわけでもありませんが文字通りに痛い描写はあります(あくまでも私の基準ですが)。この『あすか』がおもしろい?のは、彼女たち魔法少女が、自衛隊所属の戦術兵器のような扱いになっていることです。そして、アニメ後半において、沖縄の基地に襲来した敵を防ぐために「あすか」を含む日本の魔法少女が立ち向かうわけなんですが、そこへアメリカやロシアの(軍に所属する)魔法少女たちも現れて、彼女たちは共闘することになるのです。なぜ沖縄なのか分かりません。どうやらこの作品でも「異世界」の存在が大きな要素がなっているようです。ここでは、以前にあった自衛隊の異世界交流アニメのように、異世界との回路が繋がっているわけです。多くの「異世界もの」が時にはノンキに思えるのとは違って、『あすか』では現実世界の過酷さがそれなりに現れています。

あとおまけとして、今期一番怖いと思ったのは、『賭ケグルイ二期』で描かれた、夢子の変顔でしょう。変というには、あまりにも怖かったですが。

《今期のアニソン》

今期アニメでも色々といいアニソンはありました。『ブギーポップ』のOP/EDは曲も映像もよかったです。『盾勇者』の歌もそれなりによかったです。で、一番個人的に好きなのは、『五等分の彼女』のEDです。これを歌ってたのが、かばんちゃんだったのを途中で知りました。

(成城比丘太郎)

※アニメ作品については評論のメインとなっているもので、現在公式で入手(予約)可能なもののみリンクを作成しました(きうら)。そのため、一部画像が欠損している部分があります。







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