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高熱隧道 (吉村昭/新潮文庫)~感想とあらまし、軽いネタバレ

投稿日:2017年10月5日 更新日:

  • 黒部峡谷第三発電所建設工事の生々しい記録
  • トンネル技師の立場から描かれるトンネル掘削の難工事
  • 蟹工船にも通じるある種のプロレタリア的ホラー
  • おススメ度:★★★★★

随分前に紹介した小林多喜二「蟹工船」でも同じように感じたが、労働者の人権が確立されていない時代の凄まじい工事の記録だ。プロレタリア(労働者や無産者を指し、貧乏人の意味も含む)にとって、この時代の労働とは直接的な命のやり取りであり、それは労働環境などという生易しい表現を超えた極限のサバイバル状態だったようだ。それを指して、プロレタリア的ホラーと言っても過言ではないと思う。もちろん、文学的な価値も高い内容だ。

(あらすじ)黒部第三発電所の工事は、昭和11年の8月に着工して昭和15年11月に完了している。ストーリーはこの発電所のために隧道(トンネル)を掘る技師である根津や藤平の視点で進行する。恐ろしい事に、そのトンネル内の岩盤は事前の予想を裏切って、岩盤の温度が最高165度にも達する。これは発破に使うダイナマイトの自然発火温度をはるかに上回る温度であり、常に労働者に水をかけ続けても20分しか作業できない地獄のような環境だった。さらに黒部峡谷の過酷な自然にも襲われ、多数の犠牲者が出る。それでもトンネル工事が止むことは無かった。

まず、事実をもとにした小説に対して不謹慎な表現になるが、読み物としても大変面白い。当初は65度と予想されていた岩盤温度がどんどん上昇し、上記のように165度にも達する。それは水をかけても一瞬で蒸発するような超高温である。そこへ、昭和10年代のトンネル掘削技術、つまり裸一貫で削岩機やダイナマイトをもって工事を進めるという無謀ともいえる計画。案の定、次から次へと難題が発生する。上記の温度の上昇は手始めで、トロッコの事故や高熱の噴出水による火傷、発破用のダイナマイトの暴発……。それらの難題=死であるので、とにかく人が死にまくる。その辺のホラーの比ではないほどの死人が続出し、最終的には300名を超える工夫が命を落とすのである。

それでも、憑かれたように工事を進める技師と工夫(作中では人夫・ボッカと記述されている)たち。一方は自らの誇りと存在意義をかけて、一方は単純に生きていくために、大小さまざまな艱難辛苦を乗り越えていく。その姿は感動的でもあるが、そんな感傷的な気分になれないほど、簡単に人が死ぬ。それも五体がバラバラになるような無残な死に方が多く、これは恐怖以外の何物でもない。

一昔前に「プロジェクトX」という番組が持て囃されたが、これはそんな生易しいものではない。ちょっと調べてみたところ、黒部第四ダムを題材に番組が作られているが、もし資料が残っていても、とてもこの話は番組にできないだろう。それほど、狂気に満ちて人が死んでいく。主役扱いの技師・藤平は、そういった工夫たちの死について、徐々に無感動になっていく心理を吐露している。ラスト付近では、そういった自分たちへの工夫たちからの怨念すら感じている。とにかく、必ず人が死ぬことが前提で進む工事という事実が有ったのも現代では考えられないが、その事前の予想を上回って亡くなっていく多くの人たち。それも無力な者から亡くなっていく。実際の亡くなった方への追悼の思いは強く感じるが、そういったものを拒絶する虚無感が小説には満ちている。

ホラー的な話をすれば、創作では考えられないような多彩な死に満ちている。特に途中で出てくる泡雪崩には驚かされた。ご存知の方もいらっしゃると思うが、自然の驚異では済まないような凄まじい内容である。興を削ぐのでこれ以上解説はしないが、気になったらぜひ、一読いただきたい。

而して、現代でも労働の本質は変わっていないということに恐怖を感じる。それは科学技術によって薄められ、改良はされているものの、本質的には命がけの行為なのである。なので仕事が辛いのは当然だろう。生きること=働くことだとすれば、それは誰しもが避けられないものだ。ただ、それを恐怖とばかり考えて過ごすのも間違っている気もする。事実、この小説でも最終的には隧道は貫通する。そこには生への聖なる戦いという崇高なテーマも感じる。

読み終えて感じたのは、不屈の意志についての感動でも、高熱隧道の恐怖でもなく、死に対して無感動になっていくトンネル工事に関するうすら寒い認識だけだった。それでも、最初に書いたように物語としては面白いし、死者数や死にざまで言えば、ホラー以上にホラー的だ。古い本ではあるが、文章も読みやすく、記録文学の大家としての力量がいかんなく発揮されている力作だと思う。ホラーではないが、その内容の重さ・特異さと狂気に、久しぶりに★5としてみた。

※泡雪崩については、一部、作者の誤解があるようなので、読書後に科学的な事実を調べてみることをお勧めする。

(きうら)



高熱隧道改版 (新潮文庫) [ 吉村昭 ]

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