- 古い時代の「負けた後」の男たちのドキュメント
- 胸に迫る世の無常と男の意地
- 人生に疲れていたら、たぶん、泣ける。
- おススメ度:★★★★☆
タイトルは「敗れざる者たち」となっているが、実際には「勝てなかった者たち」と言ってもいいかも知れない。主に超一流のスターになれなかったスポーツ選手の「敗れた後」を描く、傑作ドキュメント集。現在、人生に満足している人が読んでも何も感じない内容だろう。もし、人生に苦しんでいるのなら、何か熱いものがこみ上げてくるはずだ。
(内容)収録されているのは、ボクサー「カシアス内藤」、長嶋茂雄と同時代の三塁手たちの哀しい結末、若くして自殺したオリンピックの東京マラソン銅メダリストの円谷幸吉、競走馬のイシノヒカル、2000本安打を記録した榎本喜八、そして輪島功一(蛙飛びアッパーで有名)の6篇。最終話の輪島以外は、いずれも才能を持ちながらもついに一流選手として名を残せなかったスポーツ選手たちの悲哀が、丹念な取材で綴られている。最終話も実質的にはカシアス内藤のその後だ。
印象に残っている文章がある。東京五輪のフルマラソンで日本人最高の銅メダルを獲得した円谷幸吉。しかし、彼はその後遺症に苦しみ、27歳でカミソリで頸動脈を切って自殺した。親族や知り合いに向けた独特な遺書が有名だが、彼の人生を追ううち、若き沢木耕太郎はこう記している。
ふと、自分はなぜ生きつづけているのかという馬鹿ばかしいほどプリミティブな疑問が、脳裏をよぎる時間がある。そんな時、暗い奈落の底から視野に入ってくるのは、一群の若い死者たちの姿である。なぜ死んだのか、なぜ生きつづけられなかったのか。しかし、そう問うことは、逆になぜあなたたちは生きつづけられるのか、と死者から問い返されることである(141P)。
おりしも私は今この疑問に直面している。なぜ、生きつづけられるのか? 有体に言えば、文章で身を立てることは叶わず、社会的な地位も低く、私生活でも苦汁をなめた。個人的には思い残す事もあまりない。ではなぜ、生きつづけるのか? 正直応えられない。敢えて言えば「死なないから」という理由だからだろうか。それとも、仕事先で、見知らぬ人が見せる、不意に心を開いて笑ってくれる瞬間があるからだろうか? 9割5分は苦しい出来事だ。なぜ生きつづけるのか? 良く分からない。良く分からないな。世の中には必死に生きている人もいる、私程度の不幸など、掃いて捨てるほどあるはずだ。しかし、主観的には大問題だ。生きるべきか、死ぬべきか? 常にそんなことを考えながら、平然と仕事をこなす。それが大人というものなのか。それすらも分からない。
沢木耕太郎は「カシアス内藤」を追ったドキュメント「クレイになれなかった男」のラストでこうも書いている。
人間には”燃え尽きる”人間とそうでない人間の二つのタイプがある、と。しかしもっと正確にいわなくてはならぬ。人間は、燃えつきる人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望み続ける人間の、三つのタイプがあるのだ。(59P)
私は明らかに第三のタイプだ。私の場合は、世に一撃を打ち込むような小説を書いて燃えつきたいと願っている。しかし、現実は火もつかずに燻りもしないしない湿気った薪に過ぎない。燃えつきないことを知っているが、火をつける日々。いや、火をつけるのもおっくうだ。軒下の湿った薪、おっと、どうやら感想を書いているのではなく、愚痴を書いているだけのようになってしまった(笑)。
この小説を古いドキュメントと侮るなかれ。若者には分からなくて当然だが、中年になると感じる「行き詰まり感」が見事に描かれている。そして、それは決してハッピーエンドにはならない。苦しみ、もがきながら生き続けるしかない。正に人生はホラーそのもの。生きることは喜びであると同時に、ホラーでもあるのだ。
今日あった老人は、私の仕事を無視してひたすら自分の世界の都合のみを語っていた。仕事なので、それ自体は当然のことだが、自分もそうなるかと思うと恐怖を感じる。世界に自分しかいなくなった瞬間、私は何を考えるだろうか?
もはや「勝てるかもしれない者たち」から「敗れざる者たち」になった私はこの著作が胸に深く突き刺さる。それでも人生は続く。あるいは途切れるのか? それでも生きろという。明日の朝も仕事だ。目が覚めると、ゴングの鐘が鳴る音がする。今日も一人きりでリングに放り出される。「カシアス内藤」と何も変わらない。さて、今日はどんな試合運びをしようか。どう戦っても、また、延々と勝てない戦いは続く。勝ちもしなければ、負けもしない。人生のラウンドは決まってないから、明日も負けない程度にパンチを放つか。
自暴自棄になっているわけではないが、人生なんて糞くらえ、だ。ただ、このドロドロに崩れて錯綜した日々の先に、まだ何かがあるかもしれない。それが人間に残された唯一の特権「希望」である。時に霞み見えなくなる希望を危うく追いながら、明日も早朝に起きて私は働くだろう。
ちなみに、私から見ればノンフィクション作家として万人の尊敬に値すると思う沢木耕太郎自身が、自分自身を「敗れざる者たち」に重ねているのは実に不思議だ。でも、そんなものなのだ。本当は私もあなたも他人から見れば、十分に「勝っている」のかも知れない。滑稽で、少し哀しいけど。
(きうら)