- ネクロフィリア(死体への異常な性的偏執)がテーマ
- 本物の変態描写&ミステリ要素
- 精神的にかなり来るグロさ
- おススメ度:★★★☆☆
1992年に出版された小説なので、本作はこのジャンルでは古典的な扱いがされている。
犯人である蒲生稔(がもうみのる)が殺人容疑で逮捕されるシーンから始まる物語はそのファーストシーンの直前までをたどるように構成されている。主に犯人、息子を殺人犯だと疑う主婦、犯人に殺害された女性の知人である元警部の三つの視点でストーリーが進行する。
世の中に変態のカテゴリーは多数あるが、このネクロフィリアとカニバリズム(食人嗜好)ほど共感を得られないジャンルはないだろう。かと言って大多数の変態嗜好が共感されるとは思わないが、この本で克明に描かれる死姦シーンは読むに堪えない。
という訳でエロいシーンを期待して読まれるなら、まずは止めたい。読むのをやめよう。軽いサディスト傾向があったとしても決しておススメしない。本物のサディストなら……先に殺してしまうので苦痛の描写が淡白すぎると思うかも知れない。
という訳で興味本位で読まれない方がいいが、一点、大きい仕掛けがあるのである。ここまでで何か感じるものがあれば本書を最後まで読んでからこの先を読まれた方がいいだろう。
以下、核心的ネタバレあり。
三つの視点と書いた時点で鋭い方はお気づきかも知れないが、実は叙述トリックの大仕掛けが仕込まれている。このジャンルを語れるほどの経験はないが、割ときれいにミスリードしていると思う。
ただ、殺戮にいたる病の過程が詳細に書かれているが、これが余り腑に落ちない。タイトルはキルケゴールの死に至る病の捩りで引用もされているのだが、そんな哲学的な雰囲気はない。
では具体的に長所と短所を簡単に書きたい。
長所は叙述トリックがグロテスクな描写と共存して生きていることだろう。作中は延々と息子が犯人であると導かれるが、実はその父親が犯人で、読者の想像とは反対なのである。これは最後の最後まで明かされない唯一で最大の武器である。母親と元警部の行動を操ってかなりの精度で誤認させられる。映像で見れば1発で分かるだろうが、何しろ小説である。騙されるのは不愉快だが、ここまで逆転していると爽快でもある。
また、グロテスクな描写から逃げず、かと言って入れ込み過ぎず、適度な表現に抑えているバランス感覚はいいと思う(それでも一般的な小説しか読まない人が読めるような内容ではない)。もう少しディテールが書き込まれていれば投げ出す人も多いはずだ。死姦そのものがかなりアレだが、少なくも先日の殺人依存性に比べれば、読後感は悪くない。
短所は物語の軽さだろうか。先に書いたが、犯人の父親は近親相姦願望をもった単なるマザコンである。哲学を装ってネクロフィリアに大層なイメージを盛り込んでいるが、かなりありふれた動機で拍子抜けする。そしてラストで死姦される母親(65)が登場するのはこのシーンのみである。物語の反転に欠かせない要素であるこの人物と同居している描写がないのはちょっとズルい。もう少し「そういえば確かに」と思えるシーンが欲しかった。
また元警部や主婦像はステレオタイプであまり面白味がない。こういう設定は色々やりやすいのだろうが、このジャンルでは月並みだ。最初に古典と書いたが、例え初版の時にリアルタイムで読んでいてもあまり変わらない感想になったと思う。
新版なので著者の後書きがあり、当時のバブル期の雰囲気を除けば今でも通用するという自信のほどが見て取れる。それはある意味その通りだ。携帯電話や監視カメラが無いことはあまり気にならなかった。とにかくネクロフィリアの描写と大オチに集中したおかげで、良くも悪くも社会性が薄いからだろう。表紙は今風でカッコいい。
この本が大好きだという人とは、あまり親しくなりたく無いが、自分が読む分にはまあまあ面白かった。ということを書いている、私の立場は……。
(きうら)