- 世界を二分する勢力による戦争の行方とは。
- 地下に移り住んだ人々に隠された真実。
- 主要人物数人のドラマ。
- おススメ度:★★★☆☆
フィリップ・K・ディックは日本でよく読まれています。最近読んだ『フィリップ・K・ディックの世界』(ポール・ウィリアムズ、河出書房新社(Amazon))によると、ディックの小説が北米ではあまり読まれていない時期に、世界ではフランス・日本・オーストラリア・ドイツなどには熱心な読者がいたようです。先月(2017年9月)から、4ヵ月連続で文庫化(復刊・新訳)が早川書房で予定されているように、(日本での)ここ数年の作品刊行ペースはすごいですね。新訳もされていて(表紙も黒を基調にしたもので、なかなか渋い)、これほどの短期間にこれだけ出版される海外作家はなかなかいないでしょうね。私は残念ながら翻訳について何かを語るだけの能力を持ち合わせていませんが、このような出版ブームはすなおにうれしいです。といっても、私はディックの熱心な読者というわけではないですが。今回とりあげるこの本も十年間本棚の肥やしになっていたくらいですし。これを読むきっかけは上記の『フィリップ・K・ディックの世界』です。ちなみにこの『フィリップ~』は、ざっと読んだところ、内容としてはファンならまあ読んでみてはいかが、という程度のものでした。
(簡単な出だしの説明)
時は、近未来の地球です。世界は、「西半球民生圏」と「太平洋人民圏」とに二分され、両者は終わりの見えない戦争を続けていた……と思われていたのですが、それは地下に避難した人々への方便で、実際は、とっくに終戦しており、(ある特権階級が)地上から地下に住む人々を管理しているという状況です。ある映像によって地下の人々を欺瞞するその支配形態は、一読してディストピアものかなとも思いました。このことは読者に所与のものとして最初から示されるので、ネタバレというほどのものではありません。つまり、ここから物語が始まるということです。
地下からある目的を携えて地上に向かおうとする「ニコラス・セントジェームズ(ニック)」と、「地下管理局補佐官」の「ジョゼフ・アダムズ」とを(地下と地上を代表する)物語の二本の柱としつつ、そこにキーとなる人物が複数絡んできます。といっても、この二人が中心になるというわけでもなく、ただその時の状況に応じて、何人かの主要人物が舞台に出てくるといった感じです。彼らは思惑をそれぞれに持っていて、作者はSFガジェットを用いつつ、次第にそれらを社会派のミステリーのように書きだしていきます。
ここまで書いて、物語の概要はほとんど書いていませんが、はっきりいうと書くほどのことがありません。戦争に使われる「要員(レッディ)」という人造兵器や、予知能力(プレコグ)や「シミュラクラ」といった、ディック作品に出てくるような要素はあるものの、それらは物語のスパイス程度にしかすぎないように思います。要は、戦争が終わった世界で、地上と地下に分かれて住まうものたちと、地上に住む人間でありながら地下の人々を助けようとする人との政争めいた相克と、そのために起こるとある事件でしょうか。
おそろしい人物というと、地下管理局のボス(実質的な最高権力者)である「スタントン・ブロウズ」でしょうか。ブロウズはまさに巨魁といった感じで、(特に)アダムズは彼に終始振り回される格好になります。登場人物でちょっと情けないのはこのアダムズでしょう。補佐官といった立場ですが、物語が進むに従って、彼は「人の内部で音もなく広がる霧」を手探りで進むようになります。ある事件が起こってからは。
一番謎めいた人物は、補佐官である「デイヴィッド・ランターノ」でしょう。彼はいったい何者なのか、何をなそうとしているのか、といったことがミステリー風で一つの読みどころです。他の人々がある意味自らの職務というか役割に忠実であろうとしているなか、彼は途中まで何を考えているのかわかりません。作品後半からは、このランターノが絡みだして、ちょっとごちゃごちゃした感じですかね。ごちゃごちゃした、というのは、色んな内容を詰め込みずぎかなという感想です。
ところで、先に書いた『フィリップ・k・ディックの世界』には、ディックが実際に見舞われたある事件(住居侵入事件)のことが書いてあり、それが支配者層への不信という執筆のモチーフをもたらしたのかな、という妄想をもちました。といっても、その事件はこの作品発表後のことのようですが。
ディック作品によく言われる現実の崩壊感覚とかはないですが、まあまあ面白いです。ディックのファンなら。
(成城比丘太郎)