- 魔女の輪郭を描く不穏なオカルト映画
- 1630年ニューイングランドが舞台
- 話は余り深く無い
- おススメ度:★★☆☆☆
「悪魔の辞典」を読んでいて、その関係で魔女狩りについて調べていたら、タイトルがそのまんまの映画があったので気になって観てみた。しかも結構高評らしい。ただ直接的には魔女狩りとは何の関係もない映画だ。
出だしは悪くない。1630年のニューイングランド、宗教上の理由で追放された一家が暮らす荒地のビジュアル、頑迷な父、厳格で怖そうな母親、イノセントすぎる双子、真面目な弟、赤ん坊、美しい娘トマシン(アニャ・テイラー=ジョイ)。バランスの取れた配置で、ちょっとした挿話にも味がある。赤ん坊が拐われたことで、元々狂っていた一家の生活は大きく変貌していく。
直接的な残酷描写はほとんどなく、魔女的なイメージの輪郭を描くことで不気味さを強調している。始めから終わりまで、絶対にいい方向に進まないと思わせる陰鬱さが漂う。ただ私のようにキリスト教文化に素養がないと怖さも半減するように思う。黒山羊やヒロインの処女性、銀のコップ、魔女のお約束など、数々の暗喩が十分に読み解けない。
話の中身はほとんどトマシンを中心に巡るのだが、途中から彼女のPV的な演出に傾いていき、結局、何を言いたいのか分からないまま、予想通りの結末を迎える。キリスト教的素養があれぱ薄気味いイメージで満足できるのだろうが、そもそも赤ん坊が拐われた理由もハッキリしないし、明かされない。日本で言えばまさに「天狗にさらわれた」か「神隠し」レベル。
オヤジは確かに口だけのダメ人間だが、他の面々もなかなかの曲者だ。厳格なはずの母親は美しい娘に嫉妬しているし、優しい弟は性的な目で姉を見てしまう。ローティーンの双子は悪魔と繋がっているような口振りで振る舞いも奇妙だ。トマシンは清純な少女として描かれているのだろうが、どうも要所要所で計算高い行動を取るのでイマイチかわいそうに思えない。ビジュアル的にもちょっと怖い。
全体的に話が鬱屈してるのは、トマシンの性的な魅力頼みのせいだろうか。ロリータ映画とまでは言わないが、ストーリーが薄味なのでそう思えて仕方ない。もちろん製作陣も狙っていて、弟の胸への目線もそうだが、全体にほんのりとエロさを混ぜてある。その視点で見れば、結末は納得できるだろう。敬虔なキリスト教徒の方はかなりの嫌悪感を、誤った信仰心を持った人(?)なら歪んだ喜びを感じるような気がする。ただ、それならトマシンはもっと上手く立ち回らないとダメだ。途中で性悪さが見えてしまってはいけない。
世間的には映画もトマシンの評価も高かったようで、トマシン役のアニャ・テイラー=ジョイは2017年のM・ナイト・シャマランの映画「スプリット」の主役に抜擢されている。
魔女狩りについては簡単にwikiを読んでみたが、犠牲者が数百万と言われていたのは作り話で、思っていた以上に穏当な犠牲者(それでも4万人)くらいだったらしく、よくイメージされる残酷な拷問も必ず行われたわけでは無いようだ。その成立も諸説あるようなので興味があればご一読を。注目すべき点は現代でも魔女狩りは生きていることだ。その事実の方がこの映画より怖い。世界にはあらゆる差別が存在するのも事実であり、その闇の深さこそこういった映画の核にある気がする。後味は良くない。
(きうら)