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★★★★☆

ヒトでなし: 金剛界の章 (京極夏彦/新潮文庫)

投稿日:2019年12月2日 更新日:

  • 不幸な男が非積極的に人を救う話
  • ヒトでなしとは善で悪でも無い極北のこと
  • 異様にハマってしまった
  • おススメ度:★★★★☆

久しぶりに本を読んでいて心地良かった。読まなければならない、という主体性を求められず、ただ、心地良く読ませて貰った。主な要因は、共感だ。物語られる思想が、恐ろしいほど、私の心象風景と同じだった。なので、逆説的には、多くの人にとって面白くないかも知れない。そんな小説だ。

主人公の尾田が雨の中、無目的に歩くシーンから始まる。彼は一人の娘を亡くし、妻と離婚し、もう一人の娘とも生涯会えない境遇だ。さらに職も失い、家も家財道具もすべて処分し、約6万円程度しか所持金が残ってない。要するに命以外、何も無い。その上、彼はこの状態を受け入れている。悲観も楽観もなく、ただ「そうだな」と思っている。それをして妻から「ヒトでなし」となじられたのだ。そんな彼が次々と人生から落っこちた人間と関わっていくというお話だ。

普通はこの状況なら絶望する。死にたくなるだろう。あるいは突然発狂するなり、自分を捨てたものへの憎しみに駆られたりするだろう。少なくとも「辛い」という感情はあるはずだ。それが無いのである。本人は「別にこの状況を歓迎はしないが、だからと言って嫌というわけでもない。楽しくはないが苦しくもない。生きたいとは思わないが、積極的に死にたいという訳ではない。死んでも別に惜しくないが。お金も家族も職も、未来と呼ばれるものは特別必要ない。要するに、これが自分である」というようなことを延々と考え続けるのである。

この思考は確かに非人間的であるが、同時に大変な救いでもある。要するに「悟って」しまったのだろう。人間的とは言え無いが、動物的でも無い。他者を傷付けず、今以外を求めない。しかも無理にそうなったのではなく、そうであることに気づいた状態だ。そうして在ることを受け入れている。ヒトでなしは、本文でも言及されるが、神でも悪魔でもあるのだ。

全編このトーンである。最初は自殺志願の女性を助けてしまう。それも「死ね!」と言っただけである。事件も起こる。立ち回りや因果話も出てくる。不幸な人間しか登場しない。しかし、99%主人公はブレない。徹底して、あらゆる欲望と無関心なのである。それが同極の人間には癒しになるとは知らずに行動する。

そうなのである。死にたい人間に、生きろと言うのは、実は過酷な存在否定でもあるのだ。笑顔で頑張ってと言われて元気が出るくらいなら、絶望などしないし、不幸なんてない。死にたい時に、死ねと言われるのは、求めていた「肯定」なのである。作者の代表的な百鬼夜行シリーズは、この方法で邪悪な人間を更生させもするし、反対にドン底に突き落とすこともする。人殺しも出てくるが、「あなたはやってない。信じてるから」と言われ続けたらどうだろう。私ならそれこそ気が狂うだろう。現に殺したのだ。不幸なのだ。それを否定されるのはとても辛い。だが、それを受け入れてくれる人がいたら? ただただ、真っ直ぐに真実を受け入れてくれたら? それはもう、相手を信じるだろう。場合によっては信仰にまで昇華するかも知れない。

この本は「何が人を救うか」がテーマだ。現実社会では、この本に描かれるようにうまくは運ばないだろう。それはお話だ。私も至極共感はするが、尾田のように全てを捨てることはできない。消しても消しても現れる煩悩の数々に苦悩する。

いや、この求めず捨てない、という境地を維持できない。腹も減れば、時に性欲もある。何より眠りたい。これらを捨てられるだろうか? 親や家族やお金やら安心やプライドや何もかも「無いなら無い」で済ませられるだろうか? 残念ながら無理だ。

と言うわけで、私は本書を通して理想の自我を味わっていたのである。それは心地いいはずだ。尾田と一体化すれば、悩みが消えるのだから。苦しく無くなるのだから。

あなたが今、幸せなら、この本は凄く遠い話に思えるだろう。ポジティブな思考の方には理解できないかも知れない。ただ、私のように幸福と呼べる状態と不幸と呼ばれる状態を同時に抱えている(と思っている)なら、間違い無く面白いはずだ。近年の著書でも傑作と思う。同系列に「死ねばいいのに」という本もあるが、ぜひ、続編が読みたい。

というのも、タイトルに密教の宇宙観を表す金剛界が使われているので、恐らく対比する胎蔵界の章も構想されていると思うからである。

まあしかし、生きるのは、しんどい。あなたもそう思うなら、別に死んでもいいんじゃ無いんだろうか? 少なくとも私は時折ふとそう思い、頭が真っ白になる。自殺しろとは言わないが、それも選択肢である。捨てることはない。そして、これが生きてることだと思う。

(きうら)


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