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特になし

われもまた天に(古井由吉/新潮社)

投稿日:2020年11月27日 更新日:

  • 著者の絶筆(たぶん)
  • 天にかえりしいのち
  • 「著者の生前の意向」により掲載された「遺稿」
  • オススメ度:特になし

2020年に世界を騒がせたものというと、もちろん数々の「厄災」、とりわけ新しい種類の感染症であった。またいくつかの訃報にもふれることになったけれども、この国の文学界においてひそかにその死を悼まれたのは、古井由吉であったかもしれない。その逝去を知ってからもう十ヶ月近く経つほどに、ふしぎにしみじみと、酒を酌み交わすような馴染みでもって、著者の最終作を読むことで、晩秋から初冬に向かう、いつもの狂騒にも似た一年の終わりが鎮まるような面持ちになった。

著者自身はおそらく、この春の花の盛りを見ることなくはかなくなったであろう。四月からの緊急事態における、人々の不安とざわめきとが花にのり移ったように思われ、はて今年の花はいつもの年と違い、その盛りと散る姿に、どうしてもなにほどかの祟りの宿りを思わずにはおれなかった。なんの禁忌に触れたものやら、そうあやしむ心で花に問うてみても、どうやら「先祖たちに起こった厄災」は何も今年だけのものではなく、繰り返し天から試されてきたことでもあるとしずかにひとりごちた。

鼻先を過ぎる梅の花を楽しむことなく、桜の花を愛でることなく逝った著者の、その言葉を直に聴くとこはなくなったけれども、そもそも一度もその謦咳に接したことのないこの身においては、花の話の他に、いったい何を語ればいいものやらと思うのみである。会ったところでおそらく競馬の話しかしないであろう。今年は牡馬牝馬ともに三冠を達したものがうまれ、また史上最多のG1勝ち星を重ねた馬もうまれ、できることならば今週末のジャパンカップの、どの馬が強いものやら、もしくは勝ち馬がそれ以外から出るものかどうか、申し合わせたような世間話をしたかったものだ。

春がどうやって過ぎたものやら、夏が来るまでに世間では仕事を失って持ち家を手放したものも多数いるときいた。これほどまでにギリギリの生活基盤の上に社会があったことは、目に見えなかっただけの、潜在的な危機であったのであろう。もともとギリギリの生活にあるものにとっても、その報道には気持ちを沈ませるものしかないわけで、そうすると、この感染症がもたらしたものは人々の生活の、新しい様式などではなく、我々の日々の営みに「天の癘気」は常に潜んでいたというわけではないか。

その「厄災」は、毎年のようにこの国を襲う水害にもあらわれていて、とくに今年は九州地方に集中したようで、私としては、ある地域の高校生の女の子たちがおこなう学校終わりの、いつもの魚釣りがどうなったのやら、そのことがふと気にかかることになる。不意に、老境に入った人物の、いつかの折りに聞いた、増水した川の様子を調べに行った時の話を、思い出すこともなく思い出していた。その老人はダムの放水の報せを聞くと、おもむろに家を出て何することもなく、流れていく川面を眺めているという。しばらく眺めていると、次第に道端に迫ってくる川の流れが、河川敷の樹木の影を完全に消してしまい、次から次へと変わることなくつづく流れの、その深層に何かの「癘気」を感じとって、この川がのみこんできた多くのいのちの面相が見えるような気がして、身震いすることになにかの恍惚をおぼえるという。

そうしたおぼえはないこともない、とそう答えてさほど気にもとめていなかったものの、やはり今年の感染症の蔓延には、それほど恐れることはないという報道にも動揺することは多少あるわけで、とくに夏の訪れの遅さには何かいつもとは違う、ひそやかな天からの警告をきいた気がする。七月末になってその警告は小さなかたちで目の前にあらわれたような気がした。それはなかなか明けない梅雨の、ある日の昼過ぎの道端に、先程まで晴れていたのが、急にくらい雲が広がりだして辺りが暗くなり、そうするとヒグラシが一斉に騒ぎだして、まわりの空間が狭まった気になった時であったか。気圧の低下によって頭がしめつけられたわけで、しばらく軽い偏頭痛の気配にたじろいでいると、ヒグラシの鳴き交わしに共鳴するように、天の方より雷鳴の小さく踊り出す様子もうかがえて、いつの間にやら辺りには人影も絶え、背後から近づく少女の右腕から下がる、不穏な予感を私は夢想することになるので、天からも地からも迫る危機感が自らの鼓動を速めることになる。ここにきてようやく、軽い頭痛からしつこい偏頭痛へと変化していることを痛感していることに、苦笑したものだ。

それから梅雨が明けたなと思うまもなく八月に入り、とたんに地の底から暑さがわきだして、先触れなく蔓延した感染症もひとまず人々の行動によって収まったかと見えた。この国はおろか他の国でもいまだ収まる気色のみえない厄災の、これはひと休みなのか、あるいはこのままの状態を保っていくことができるものかと、道歩きの日傘の下で思いなしていた。九月も頭までは日傘の手放せない日もあり、私の他に幾人かの男性が日傘を持つのが見えて、これは私が毎回外出のさいに差している影響かと思うわけでもなく、十月になると、去年のこの頃にはまだ法師蝉の時折か細く鳴く声を聞いたものが、今年はさっぱりその声を聞くこともなく、夜になると寒さが窓よりこの身を身震いさせることがあり、秋の虫の鳴き声も途絶えがちになって、このまま秋が素通りするものかといぶかしむうちに木々の葉は衣装替えを終えていた。

晩秋の行楽地では、なんとかいうキャンペーンのせいか、例年ならばそれほどの人出ではない神社付近の、古代より続く山道にも、木々の葉の色とはよほど色合いのことなる、黒い色味のコートや上着をまとった観光客とすれ違うことになる。その度に会釈や挨拶の言葉をかけあうのだけども、今年は皆ほとんどマスクを着けているので、掛け声は小さなものになったのを、通りすぎた時にどうしたものやらと軽く笑うことになる。そういう私も目元しか肌を見せていないので、お互いにいったいどの年頃の人物だろうかと、通りすぎる度に思いあっているのかもしれない。

そんな私がこのように、約一年のことを思い返しながら、このブログ記事を書いてきたわけである。年に数回くらい、ここに取り上げた本の著者が、もしかしたらこの記事を読むことはあるかもしれないと思うことがあるのだけども、はたして古井由吉がこのブログを読んだことがあるかどうかは、もう確かめようもないことに気付いた。この記事を著者が読むことは今後一切ないということか。記事に取り上げた本を書いた、まさにその著者のことを考えてブログを書くことはあまりないけれど、「われもまた天に」還るときには、どこかにいるやもしれぬ古井由吉に会うこともあるかもしれない、という思いで認めたこの記事をどこで終わらせたものやら、途方にはくれないが、まあ天を仰ぐと、薄い雲が広くなびいていたのに覗く陽の重なりを、目を細めて眺めながら、マスクを取って見知らぬ人と酒を酌み交わす日を待ち望むわけです。

(成城比丘太郎)


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