- 超有名な冒頭の美文は人生の核心を突く
- 話の筋はさほど面白くない
- 味わい深い漱石の美学を楽しむ
- おススメ度:★★★☆☆
いやもう、この作品は冒頭の文章が全て。あらゆる時代、あらゆる大人の人生についての実感が素晴らしい韻の文章で記されている。これはもう、転載するしかない。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
この文章に共感できない社会人は少ないだろう。理屈を通せば人と衝突するし、かといって感情のままに人に同情すれば、思いがけない方向に持っていかれる。とはいえ、自分の意志を通すのは本当に難しい。全くおっしゃる通り。これだけ短い文章に、日本人が実感する人生の本質が凝縮されている。しかし、私はこの先にさらに感銘を受けた。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
衝撃と言ってもいい。自分の世界が住みにくいからと言って、人間である以上、人間以外の世界へ出ていくことはできないのだ。つまり、今の世の中に絶望していても、引っ越す先は「ない」という結論で、ある意味、非常に恐ろしい。人でなしの国とは死の世界か、狂気の世界か。ともすれば、そんなところへ行きたくなるが、漱石は「さらに住みにくい」と、一刀両断している。漱石風に書けば「そうかも知れぬ」といったところか。
草枕はこの冒頭が非常に有名で、あらすじを問われても、思わず答えに詰まる作品だ。私も以前に読んでいたが、この冒頭以外、ほとんど記憶になかった。改めて再読してみると、文豪の考える美学が凝縮されているが、ストーリーとしては、単に画家が田舎の逗留先の女と親しくなるというだけの話。はっきり言って筋なんてどうでもいいレベルに思える。
どうでもいいというは、今風のアクロバティックなストーリーを想起した場合のことで、実は丹念に読むと、様々な美しい景色が現れるのだが、その域に達しようと思うと、しっかりと小説とシンクロしないといけない。私は結局今回も読み飛ばしてしまったので、冒頭以外、格別印象に残っていないが、細部に繊細な美学が宿っている。この辺が文学と娯楽小説の違いだと、かなり遅ればせながら実感した。
お札にまでなった歴史的文豪に対して失礼な話だが、非常に豊富な語彙と美しい韻を踏んだ文章はさすが。ただ、上記の通り娯楽小説という訳ではないので、ピンとこない人が多いのも良く分かる。とにかく、読む度に発見があるほどの情報量が埋め込まれている。できれば、辞書を片手に意味を完全に理解して読まなければならないと思う。
かの宮崎駿御大が、何度も繰り返して読んだと、どこかで聞いた。そういわれると「風立ちぬ」は、この作品のように大筋よりも各所に美学が宿る作風だったように思う。老成すると、娯楽性よりも細部に凝るのかもしれない。黒澤明の「夢」もそんな作品だった。
では、怖いかどうか。前述の通り、私は十分に恐ろしい。冒頭の一文は、歴史に名を刻む英才から「ここじゃないどこかに本当に生きる場所がある」という考えは捨てなさい、というダメ人間への警鐘というか宣告だ。腹を据えてその世界で生きろということなのだろう。非人情の旅をするこの小説の主人公の画工「予」も結局、人情の中に美を見出すというラストが印象的だ。
今回のリンクは青空文庫になっているので、誰でも読める。このサイト的な「おススメ」度は低めだが、一度は読んでみてもいい美しい日本語だ。「坊ちゃん」でも書いたが、夏目漱石の作品は本当に文章が流麗だ。ただ、「吾輩は猫である」は半分ほど読んで挫折したことは告白しておく。
(きうら)